航空機乗員養成所の訓練概要
1. 内務教育
操縦生は1年以内の短期教育で操縦士資格をとるのが目的だったが、養成所内の内務生活と教育、つまり団体生活の中味は、陸海軍ともに軍隊内務令による軍隊式で厳しいものがあった。一口に娑婆っ気を無くする精神教育が徹底していた。6期の掛腰正男氏が米子養成所に入所したのは昭和15年4月だった。太平洋戦争前であり、生徒たちはスマートな制服を着用して民間機を操縦するパイロットに憧れていたが、軍隊同様の厳しい日常に、そんな甘い考えは吹っ飛んでしまったという。
入所時に配布された「操縦教育の参考」の総則には、「軍隊操縦者トシテノ基礎ノ育成ナルコトヲ忘ルヘカラス」とあり、服従の欄には「命令ハコレヲ守リ直チニ之ヲ行ウヘシ其ノ当不当ヲ論シ其ノ原因理由等ヲ質問スルヲ許サス」と記されており、これによって彼は、平和の夢をかなえる筈の養成所の実態を感じとった。
朝6時起床から夜9時半の就寝まで、一分刻みの日課がつまっていた。主に午前中は学科、午後は体を鍛えるための教練ないし飛行訓練に当てられた。起床後は、校庭で「朝の誓い」を口誦し、就寝前には、かならず「夕の反省」を心誦した。
朝の誓い |
一. |
吾は日本少年なり 父祖伝来の大和魂を磨き大君に仕えん |
一. |
吾は戦時の少年なり 軍神の心を心とし国難に当たらん |
一. |
吾は航空の少年なり 雄大高邁なる航空精神を以て挺身せん |
一. |
吾は皇軍の予備員なり 軍人精神を養い皇軍の名誉を継承せん |
一. |
吾は航空機乗員養成所の生徒なり 剛健力行率先難に当たり協心戮力母校の名を揚げん |
今日一日 盟友と共に心を戮せ修練に励まん |
夕の反省 |
一. |
今日一日、心に恥ずることなかりしか 純正 |
一. |
今日一日、気力に欠くることなかりしか 剛健 |
一. |
今日一日、努力に不足なかりしか 力行 |
一. |
今日一日、卑屈の行いなかりしか 高邁 |
一. |
今日一日、協同に欠くるなかりしか 協同 |
天皇陛下 父母上 上官殿 有難うございました 感謝 |
生活は一変し、いわゆる娑婆っ気をとるために、連日の体罰が続いた。なにかとヘリクツをつけては非常呼集、駆け足、精神棒による尻叩き、生徒たちによる交互の対抗ビンタ、ひどい時は上靴のビンタがとんできた。とにかく毎日しごかれたが、各養成所で相当の差異があったようだ。
熊本養成所9期の林岩男氏は、鉄拳制裁を受けた記憶がないといわれるが、これは例外である。海軍系愛媛養成所14期の樫原福二郎氏は、リンチのような毎日の体罰に、今でもその恨みが残っているとおっしゃる。伝統的に排他性の強い海軍は、とくに予備下士である養成所出身者への風当たりが強かったようだ。
2. 陸軍系乗員養成所の飛行訓練
操縦訓練に先立って、養成所は「生徒操縦教育要望事項」なるものを策定していた。まず「大君の御為に」という前文があり、9項目にわたる生徒の心構えが列記されている。
大君の御為に
我等は大君の御為に此の身命を捧げるものなり。寸膚膏肓といえども断じて私有にはあらず。されば一挙手一投足の総てが、大君の所為たらざるべからず。畏くも大君の御信任に対し奉り、国民の負託に副はしめんとする我等の任務は重大なり。我執を去り、死生を超越し、全身全霊を投じて特技修練の精到を期すべし。
9項目(タイトルのみ掲載)
「死生観を確立すること」「百事実行を第一義とすること」「操縦者は徳操を涵養すること」「明朗であること」「教官、助教を信頼すること」「同期生は団結すること」「整備班への感謝を忘れないこと」「研究準備を怠らないこと」「身体の鍛錬を怠らないこと」
操縦生の訓練期間は8ヶ月~1年であり、操縦訓練に直接関係する飛行機学、発動機学、操縦学、空中航法学、地形学、気象、衛生、航空法規等の学科教育、それに航空兵操典、作業用務令等の軍事学に絞られていた。
養成所の本命である飛行訓練の、「操縦術習得上の注意事項」は、現在の初級操縦訓練でも十分に活用できる内容なので、要点のみを列記する。
1. 教官を絶対に信頼し、いささかも不安をもってはいけない。
2. 教官の言うことは、一言一句聞き漏らしてはいけない。
3. 教官の教えは最良の上達手段であり、最初から創意工夫することは徒労と心得よ。
4. 気持ちを落ち着けて、余り緊張してはいけない。
5. 操縦席に座ったら、操縦に適正な位置を確認せよ。
6. 水平飛行と旋回飛行での水平線との位置関係を早く飲みこむこと。
7. 教官の注意をすぐ実行することはよいが、極端であってはならない。
8. 操舵量は、速度に応じて変わるから、早くその手応えをつかむこと。
9. 着陸は地面7分飛行機3分の割合でクロス・チェックすること。
10.飛行中の反省点や教官の注意事項は、忘れないうちにメモすること。
11.旋回中の方向舵の使用は、傾きに応じて使用すること。
12.離陸前、飛行中、不自然な飛行感覚のときは、計器類をチェックすること。
13.荒い操作、ムラのある操作は、例え特殊飛行であっても禁物である。
14.単独飛行に早く出ようと焦ってはいけない。
15.不安を感じて萎縮すると進歩がない。
16.無謀と漫然とした飛行は事故の元である。
17.不時着陸は電線に注意すること。
18.着陸直後の故障は、直進を原則とする。
19.自惚れと色気は厳禁である。常に着実な操作に心がけること。
20.操縦者は沈着細心周到にして果敢、強靭な性格を必要とする。
飛行訓練概要
95式三型初級練習機 |
操舵感得 離着陸 空中操作 |
95式一型中間練習機 |
離着陸 空中操作 編隊飛行 特殊飛行 野外航法
計器飛行 |
99式高等練習機 |
慣熟飛行 雷撃訓練 |
これらはもっとも典型的な訓練機種と内容であり、総飛行訓練時間も期によっては50~100時間の開きがある。
航空機乗員養成所出身者、鈴木廣氏の操縦日誌
(以下すべて鈴木廣氏提供)
操縦日誌の内容
鈴木廣氏の航空手簿
航空手簿には訓練内容が記録されている
地理を徹底的に頭に叩き込むために乗員養成所訓練
生自身が作成した資料。野外航法訓練時に使われた。
訓練の総仕上げは、将来の輸送機パイロットとして「野外空中航法」と「盲目飛行」、つまり今の有視界飛行によるクロス・カントリーと計器飛行が徹底して実施された。当時は日中の有視界飛行が原則であったが、夜間飛行や雲中飛行を強いられた場合を想定しての訓練である。わずか数分の雲中飛行でも、相当の操縦技量と度胸が必要な時代だった。99式高錬の訓練は、実機へ移行するための慣熟飛行訓練である。
晴れの卒業式では、皆、2等操縦士および2等航空士資格を取得していた。
3. 海軍系乗員養成所の飛行訓練
早くから飛行予科練習制度(乙種予科練)を立ち上げていた現場主義の海軍が、乗員養成所を愛媛と長崎に設立したのは、開戦後の昭和17年4月からである。つまり戦闘でのパイロットの消耗を補うためのものであったから、訓練の厳しさは予科練と同じであった。というより、伝統の海軍になじまない異質な下士官ということで、体罰なども激しく、冷遇されたようだ。
教育訓練内容は次のようなものだった。海軍式ではあるが、教育指針や諸施設や服装、機材用具などは陸軍式を使用していた。
座学 陸戦 砲術 信号(手旗、号笛、旗流)
飛行 整備 航法 通信 気象 物理 数学等 |
飛行訓練概要
3式陸上初歩練習機 離着陸訓練 空中操作
93式陸上中間練習機 離着陸操作 空中操作 特殊飛行 編隊飛行 野外航法
13式水上練習機、94式水偵、95式水偵、97式艦攻「天山」等
陸軍系と異なる訓練として、着陸は空母への着艦を前提にした「定着法」と、航法訓練は地文航法ができない洋上である。海軍が独自に開発した天測表や高度方位角表を使った天測航法と、波頭によって偏流角を測定する「波頭航法」で、なかなか練度を要した。実用機教程を含めて、飛行時間は約110~150時間であった。
4. 軍事飛行訓練
約1年間で養成所卒業後、約6ヶ月間の軍事訓練が実施され、陸軍伍長として、予備下士除隊になったが、戦争突入後は、大部分が即、召集となり、母校の教官や民間航空への就職は、ごく一部でしかなかった。しかも19年4月以降は、法改正により、陸海軍ともに全員招集された。
陸軍の飛行訓練は、偵察、戦闘、軽爆、重爆に分かれ、99式高等練習機を使用した。訓練内容は、編隊飛行 偵察飛行 対地射撃 空中射撃 急降下爆撃 空中戦闘 航法で、約50時間の移行訓練が実施された。
海軍では卒業即日、海軍飛行科甲種予備練習生として、全員が召集された。11期生(事実上の海軍養成所1期操縦生)は、霞ヶ浦航空隊羽田分遣隊へ、12期生から最終期の14期生までは姫路海軍航空隊に入隊して、97艦攻などの操縦訓練を受けた。姫路海軍航空隊は、養成所出身者を訓練するために特別に開隊した訓練航空隊である。
訓練内容は、着艦訓練 編隊 計器 偵察 哨戒 電撃 航法 薄暮飛行などで、飛行時間は約30~50時間だった。
とくだ ただしげ、 航空ジャーナリスト
|