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航空機乗員養成所 年表
-逓信省航空局 航空機乗員養成所物語-
  徳田 忠成
2007.01.15
 
 
逓信省航空局 航空機乗員養成所 年表         
関 連 事 項
1920
大正9
6
9
帝国飛行協会陸軍委託第1期操縦練習生2名が臨時軍用気球研究会に入隊。
第1期操縦練習生1名(1名は負傷により中退)卒業。以降、2期生2名(大正5年入隊)、3期生3名(大正6年入隊)のみで、研究会委託教育は終了。
1920
大正9
8
10
航空局が陸軍省の外局として設立。
航空機操縦練習生規則が制定され、陸軍委託生制度が発足。
1921
大正10
1

4
9
陸軍委託第 1期操縦生10名が、所沢陸軍航空学校へ入校、8ヶ月の操縦教育開始。陸軍委託教育は、18期生(昭13年)まで継続され、総計99名が委託訓練を受けた。
航空法公布。
陸軍委託第1期操縦生10名卒業。
1922
大正11
4
6
12
航空局が陸軍省から逓信省へ移管。
航空機操縦練習生採用規則改正により、海軍委託生制度発足。
海軍委託第1期操縦生5名が、横須賀海軍航空隊へ入隊した。海軍委託教育は、16期生(昭13)まで継続され、総計64名が委託訓練を受けた。
1924
大正13
10 航空機機関士養成規則が制定、東京府立工芸学校にて委託機関生の養成を開始。養成期間2年間であり、当初は隔年毎に採用したが、1938年(昭13)からは毎年採用され、11期生まで継続された。
1927
昭和2
6 航空法施行規則、航空機乗員試験規則、航空機乗員体格検査規則、航空機検査規則および航空法実施に伴う省令が、相次いで公布された。
1936
昭和11
12 航空局は、民間飛行学校で訓練生の中から、推薦された一部の者を、飛行機操縦術養成員(省費委託生)として採用、計17名を指定練習生とした。名古屋飛行学校7名、亜細亜飛行学校4名、日本飛行学校6名で、通称、「指定1期生」と呼称した。
1937
昭和12
12 指定2期生として、名古屋飛行学校11名(うち1名は卒業前に殉職)、亜細亜飛行学校4名、日本飛行学校8名の計23名が、委託訓練を受ける。なお1期生16名および2期生22名が、2等飛行機操縦士資格を取得した。
1938
昭和13
1
6

6

6

10
12
航空局官制公布。
航空局仙台乗員養成所および航空局米子乗員養成所設立、第1期操縦生各20名計40名が入所(以下、乗員養成所の呼称は地名のみ)。訓練期間約10ヶ月間。
航空局民間委託操縦生として、日本飛行学校、名古屋飛行学校、阪神飛行学校へ計80名が委託された。
航空局は、水上機操縦士養成のため、堺水上飛行学校および天虎飛行研究所へ委託、各4名が入所。
第2期操縦生が、仙台、米子へ各25名計50名が入所。
航空局による陸海軍委託操縦生制度を廃止。
1939
昭和14
1
3
3
3
4
4

4

5
5

6
11
12
12
12
仙台、米子の第1期生卒業。
阪神飛行学校民間委託1期生(長期)卒業。
堺水上飛行学校および天虎飛行研究所の委託操縦生8名卒業。
第3期操縦生が仙台に27名、米子に28名、阪神飛行学校に22名入所。
阪神飛行学校が、航空局米子乗員養成所阪神分教場となる。
一等操縦士資格取得のため、選抜された15名が海軍委託操縦生17期生として鹿島海軍航空隊に入隊。
天虎飛行研究所が航空局乗員養成所天虎分教場となり、1期生(養成所6期相当)6名が入所。
仙台および米子の第2期生卒業。
1等操縦士資格取得のため、選抜された50名が陸軍委託19期生として
熊谷陸軍飛行学校へ入隊、12月に卒業。
第4期操縦生が、仙台に25名、米子に27名、阪神分教場に19名入所。
第3期操縦生卒業。
陸軍委託第17期生卒業。
海軍委託第18期生卒業。
第5期操縦生が仙台に42名、米子に47名、阪神分教場に22名の計111名が入所。
1940
昭和15
2
3


3
4
4
7
7
8
11
12
第4期操縦生卒業。
松戸に中央航空機乗員養成所設立。第1期操縦生徒して、第1〜3期操縦生から50名、甲種工業学校卒業者から第1期機関生徒29名を採用して入所。これにより、府立工芸学校への委託養成制度は廃止された。
天虎第1期操縦生6名卒業。
第6期操縦生が仙台へ45名、米子へ48名計93名入所。
天虎2期操縦生(養成所7期操縦生相当)10名が入所。
第5期操縦生卒業。
米子乗員養成所阪神分教場は陸軍の接収によって閉鎖。
第7期操縦生が仙台へ51名および米子へ50名計100名が入所。
第6期操縦生卒業。
第8期操縦生が、仙台へ59名、米子へ61名計120名が入所。
1941
昭和16
3
3
3
3
4
4
4

4

4
9
10
12
中央第1期生卒業。
天虎2期操縦生8名卒業。
航空局米子乗員養成所専修科の訓練修了。
第7期操縦生卒業。
中央航養第2期生50名、第2期機関生30名入所。
第9期操縦生が仙台へ49名、米子へ61名計110名入所。
航空機乗員養成所官制制定により、仙台と米子に加え、印旛、新潟、熊本に乗員養成所を設置。なおXX地方航空機乗員養成所と改称した。
仙台、印旛、新潟、米子、熊本へ、それぞれ本科1期生(第3学年)各60名計300名および本科3期生(第1学年)各60名、計300名で総計600名が入所。
天虎3期操縦生(航養9期操縦生相当)21名が天虎分教場へ入所。
第8期操縦生卒業。
第10期操縦生が、仙台に72名、米子に73名、印旛に57名の計202名が入所。
中央第2期操縦生徒が繰り上げ卒業。
1942
昭和17
3
3
4
4

4
4

4

4
4

4
9
9

10

10

10

11
12
中央第1期機関生徒卒業。
第9期操縦生(仙台、米子、天虎分教場)卒業。
中央第3期操縦生徒50名、第3期機関生徒27名が入所。
古河、京都、岡山、都城(以上、陸軍系)、愛媛、長崎(以上、海軍系)に地方航空機乗員養成所を設置。
中央航養第3期機関生25名入所。
航空局米子乗員養成所天虎分教場は、航空局愛媛地方航空機乗員養成所天虎分教場に組織改編。
第11期操縦生が仙台、米子、印旛、古河、熊本、愛媛に、計371(うち愛媛100名)入所、海軍系乗員養成所での教育開始。
第2期本科生(第3学年)が古河、新潟、京都、岡山、都城へ、各60名計300名入所。
本科4期生(第1学年)が仙台、米子、新潟、印旛、熊本、古河、京都、岡山、都城、愛媛、長崎へ各約60名計658名(陸軍系539名、海軍系119名)が入所。
天虎4期生(養成所11期生相当)22名が天虎分教場へ入所。
第10期操縦生卒業。
仙台、印旛、米子、新潟、熊本の本科第1期生は、操縦と機関に区分され、機関要員は新潟、新潟の操縦要員は仙台、印旛、米子、熊本に分散配置された。
仙台、印旛、米子、熊本の本科第1期生の操縦教育、新潟の本科第1期生の整備教育を開始。
第12期操縦生が、仙台、米子、印旛、熊本、古河、京都、愛媛、長崎へ計485名(陸軍系365名、海軍系120名)が入所。
山梨航空技術学校に養成委託していた技術要員教育が修了。この委託教育は第4期まで継続され、卒業生は各航養所で勤務についた。
中央第3期操縦生徒卒業。
中央第4期操縦生徒50名が入所。
1943
昭和18
2
3
3
4
4
4
4

4
4


4
4
7
8
9

10
10
10
11
12
中央第3期機関生徒卒業。
第11期操縦生卒業。
天虎4期生20名卒業後、天虎分教場閉鎖。
松戸中央航空機乗員養成所を松戸高等航空機乗員養成所と改称。
XX地方航空機乗員養成所の呼称が、XX航空機乗員養成所に変更。
福山高等航空機乗員養成所(水上機訓練)を設置。
本科5期生が、仙台、米子、印旛、熊本、古河、京都、岡山、都城へ518名、愛媛、長崎へ114名計632名が入所。これによって本科生が1期から5期生まで揃う。
仙台、印旛、米子、熊本の本科第1期生の中練による操縦教育開始。
第13期操縦生が、仙台、米子、印旛、熊本、古河、京都、都城へ358名、愛媛、長崎、福山へ180名の計538名入所。なお福山は高等航養所であるが、第13期操縦生のみ地方乗員養成所として教育した。
松戸第4期機関生25名入所。
松戸高等航養所第4期操縦生卒業。
松戸高等航養所第5期操縦生49名入所。
第12期操縦生卒業。
第14期操縦生が、仙台、米子、新潟、印旛、熊本、古河、京都、岡山、都城、愛媛、長崎へ計810名(陸軍系690名、海軍系120名)が入所。
福山高等航養所へ普通科第1期生10名入所。
古河、京都、都城の本科第2期生の操縦教育開始。
新潟の本科第2期生(機関要員)の整備教育開始。
航空局が運輸通信省の内局になる。
長崎が海軍に接収されたため、長崎14期操縦生が愛媛に転属、合流した。
1944
昭和19
1
2
3
3
3
3
4
4
4
4
4


4
4

4
7
8

8

8

9
9
10
10
10
愛媛、長崎、福山の海軍系第13期操縦生卒業。
松戸第3期機関科生徒卒業。
本科1期生の仙台、印旛、米子、熊本の操縦要員、新潟の機関要員卒業。
松戸第5期操縦生徒、福山普通科第1期操縦生徒卒業。
仙台、印旛、古河、京都、米子、熊本、都城の第13期操縦生卒業。
愛媛の第14期操縦生卒業。
XX航空機乗員養成所の呼称を、XX地方航空機乗員養成所と再変更。
筑後地方航空機乗員養成所設置。
松戸に整備専修生160名が入所。
松戸普通科第1期操縦生徒47名が入所。
仙台、印旛、古河、新潟、京都、米子、岡山、熊本、都城の第14期操縦生が、法改正により、仙台、岡山、筑後、都城に併設された陸軍飛行学校教育隊にて、航空局陸軍委託生徒として教育を受ける。
古河、京都、都城の本科2期生(第5学年)が、米子に合流。
本科6期生(第1学年)が、仙台、印旛、古河、新潟、京都、岡山、筑後、熊本、都城へ795名、愛媛、長崎、福山へ396名で計1,191名が入所。
福山普通科第1期生徒10名が繰り上げ卒業。
第14期操縦生卒業。
仙台、京都、岡山、熊本、都城が閉鎖され、仙台、京都本科4期生は古河へ、岡山は印旛へ、熊本は新潟へ、都城は筑後へ、ぞれぞれ合流した。
本科5期生は仙台が古河に、熊本が新潟に、岡山が印旛に、京都と都城が筑後に、それぞれ合流した。
本科6期生は、仙台が古河に、京都、岡山が印旛に、熊本が新潟に、都城が筑後に、それぞれ合流した。
松戸第4期機関生徒が繰り上げ卒業。
米子本科2期生(操縦)、新潟本科2期生(機関)が、繰り上げ卒業。
古河に松戸高等航空機乗員養成所古河支所を設置。
新潟本科2期生(機関)80名は、松戸普通科第2機関生徒になる。
米子本科2期生(操縦)202名は、松戸普通科第2期操縦生徒になる。
1945
昭和20
2
4
4

4
5
5
6
8
10
10
10
10
12
12

12
松戸高等航空機乗員養成所古河支所が、古河高等航空機乗員養成所に昇格。
山梨地方航空機乗員養成所(旧山梨航空技術学校)設置。
本科7期生(第1学年)が印旛、古河、新潟、米子、筑後に526名、愛媛、長崎に326名で計852名が入所。
松戸の第1期本科生(機関)卒業。
山梨に整備専修生徒680名が入所。
逓信省航空局が運輸省内局になる。
古河の操縦教育を停止する。
敗戦により、各乗員養成所の学業を停止する。
本科3期生が繰り上げ卒業。
本科5期生が第3学年で繰り上げ修了。
本科6期生が第2学年で繰り上げ修了。
本科7期生が第1学年で繰り上げ修了。
本科4期生が繰り上げ卒業。
運輸省令第46号および第47号により、「地方航空機乗員養成所規則」および「高等航空機乗員養成所規則」が廃止される。
勅令第734号により、「航空機乗員養成所官制」が廃止される。


とくだ ただしげ、 航空ジャーナリスト

     
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