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航空遺産継承基金 平成16年10月活動記録
1.野沢資料記録作成
「野沢資料記録方法」に従い以下の資料の記録、整理および保存処置を行いました。
フォルダー名 | 資料総数 | 写真枚数 | ネガ(シート)数 |
海軍ファルマン水上機 | 44 | 14 | 7 |
BLERIOT 11 C/C 英仏海峡横断機ほか | 86 | 15 | 8 |
中島知久平 | 15 | 6 | 2 |
中島史 富士史 | 32 | 10 | 0 |
ブレリオ | 34 | 15 | 3 |
航空史跡旅の栞 | 24 | 24 | 0 |
中島式LB2暁号 | 17 | 4 | 1 |
武石浩玻 | 1 | 0 | 0 |
大正初期の民間機各型 | 8 | 1 | 0 |
奈良原式 鳳号を含む | 49 | 17 | 1 |
白戸式 | 63 | 22 | 13 |
会式1,2,3,4(徳川式) | 68 | 30 | 4 |
日本におけるカーチス・プッシャー | 53 | 18 | 7 |
会式5/6/7号・沢田式7号と | 39 | 10 | 6 |
制式1,2 | 29 | 14 | 3 |
中島N35試偵 N36試旅 | 3 | 2 | 0 |
モ式12年型 | 21 | 9 | 0 |
モ式13年型 | 26 | 17 | 0 |
モ式14年型 その他の各型 | 9 | 2 | 0 |
モ式三/四/六型(モ式ネガ) | 11 | 4 | 1 |
モ式四型その他のネガ モ式四号機 | 23 | 5 | 5 |
モ式六型 | 30 | 20 | 2 |
改造モ式 | 17 | 1 | 2 |
RUMPLER TAUBE単葉機 | 29 | 10 | 4 |
玉井(日本飛行学校) | 58 | 19 | 6 |
伊藤飛行機(全型) | 28 | 2 | 0 |
伊藤式1〜9 | 38 | 17 | 1 |
伊藤10〜20 | 32 | 15 | 0 |
伊藤21〜29(24型あり)秋田号 | 29 | 18 | 0 |
伊藤30(ネガ各型) スポーツ機 各型機 | 15 | 2 | 0 |
佐藤要蔵式 安井式 | 8 | 1 | 1 |
飛竜号 | 3 | 0 | 0 |
磯部オノ吉式 | 5 | 1 | 1 |
日本のカーチスジェニー機 | 4 | 0 | 0 |
中島式1型/3型(中島史を含む) | 12 | 5 | 2 |
中島式4型 中島式6型 | 11 | 6 | 2 |
中島式5型 | 10 | 5 | 0 |
合計 | 984 | 361 | 82 |
いくつかの資料の写真を参考までに掲載します。
「モ式12年型」フォルダー内の全資料 |
「伊藤21〜29(24型あり)秋田号」フォルダー内の紙焼き写真 |
2.調査協力
航空黎明期の台湾の飛行家「謝文達」氏の子息謝東漢氏、中国社会科学院研究生院 WuYuDe博士生および石原敏昭氏(通訳)の3名が米国および中国より、日本航空協会を訪れました。謝東漢氏は父親の生涯をまとめた本を出版予定とのことであり、操縦資格を取得した日本での記録を求めての訪問でした。謝文達氏は1919年頃よりわが国の民間航空のパイオニア伊藤音次郎氏の下、千葉県津田沼海岸の伊藤飛行機研究所で操縦訓練を受け、1921年6月3日、参等飛行機操縦士免状(航空免状第5号)を取得しました。その後、国民革命軍廣州航空学校教官、中華航空上海支社副社長等を歴任しました。
当協会航空図書館が所蔵する当時の関連資料や今も残る津田沼飛行場跡や関係者等を紹介すると共に、わが国の航空黎明期の飛行家に詳しい平木國夫氏および当時の航空機に詳しい藤田俊夫氏及び柳沢光二氏を紹介し、航空協会にて情報交換いたしました。平木氏からは謝氏の伊藤飛行機研究所時代の写真や伊藤氏の日記資料の抜粋が、藤田氏からは謝氏が所有した飛行機の堪航(耐空)証明書の写しが、柳沢氏からは中華航空の資料が提供されました。その後、御3人は津田沼飛行場跡地を訪問され帰国の途につきました。
写真左側より、平木、Wu、謝、石原 各氏 | 写真左側より、柳沢、藤田氏 |
以上
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2004.11.18設置