1924年7月23日、今から百年前に史上初の日本一周飛行がスタートしました。写真は日本一周を終えた飛行機、川西K-6型「春風」号です。
当時の日本は、大正十一(1922)年から民間の定期航空便が飛ぶようになり、民間の飛行機利用が次第に広がっていく時期でした。民間の飛行機メーカーもいくつか生まれており、大正十二(1923)年、川西機械製作所の飛行機部門でも新しく3人乗りの旅客機「K-6型」を1機製作しました。K-6型は水に浮かび、水面から飛び上がる水上機です。
K-6型は、皇族であり海軍航空隊の軍人でもあった山階宮武彦王に「春風」号と命名されました。大阪毎日新聞社は大正十三(1924)年1月に春風号を購入し、史上初の日本一周飛行を計画します。長距離のフライトにあたって、主翼下面に補助フロートを追加、水平安定板下面に小型の垂直安定板を追加、冷却器の位置変更などの特別な改造を施します。
機体には、パイロットの後藤勇吉、コンビの機関士として米澤峰蔵、そして新聞記者1名の3人が乗ります。後藤勇吉は、帝国飛行協会の陸軍委託操縦生として操縦を学んだ、日本最初期の民間パイロットです。大正九(1920)年の帝国飛行協会主催第1回懸賞飛行大会で優勝を飾った優秀なパイロットでした。新聞記者は6名が日替わりで乗って記事を書くという初の試みでした。
春風号は7月23日に大阪の木津川尻飛行場を出発した後、鹿児島、福岡、石川、秋田、北海道、茨城、静岡、三重を経由して、31日に大阪に到着しました。当初6日間の予定が悪天候により8日間となりましたが、史上初の日本一周飛行の成功でした。
写真は、小森郁雄氏の写真アルバムのものです。小森氏は戦前から戦後まで活躍した航空ジャーナリストです。航空遺産継承基金では、小森郁雄氏のご遺族から多くの写真アルバム等の紙資料のご寄贈を受け、その保存・調査に取り組んでいます。(小森氏のアルバムに貼られた春風号の写真)
参考
朝日新聞社、1983、『世界の翼シリーズ写真集日本の航空史(上)』
日本航空協会、1956、『日本航空史 明治・大正編』:p708-710(pdf781〜783コマ目)
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