今月は、航空遺産継承基金の所蔵する高橋正夫氏の所有した写真アルバムの10冊目から、ランダムに1枚ピックアップします。高橋氏のアルバムは9冊目まで、一般財団法人 日本航空協会 航空遺産継承基金 ギャラリー (aero.or.jp)にて公開済です。
写真の添え書きには、「昭和28年11月21日,萩原式H-22型複座第3種滑空機,読売玉川飛行場にて飛行検査,自動車直接曳航にて出発前。」とあります。写真のH-22型JA0075は、1953年9月に登録され、翌1954年より明治大学が所有した機体です。
敗戦後、連合国によってグライダーを含む全ての航空活動が禁止されましたが、サンフランシスコ平和条約が発効した昭和27(1952)年には禁止が解かれ、その後7月には航空法が公布・施行し、新たな法制度の下で民間航空が再開しました。
写真が撮影された昭和28(1953)年11月は、それから1年あまり、航空再開してから間もない頃ですが、各地で愛好家がグライダーを飛ばして楽しんでいました。
荻原式H-22型は、国産の萩原木材工業製2人乗りセカンダリーグライダーです。戦前からグライダーを製作、飛行していた堀川勲が戦後になって設計したもので、昭和28(1953)年8月に第一号機が初飛行しました。
読売玉川飛行場は、世田谷区の二子玉川河川敷にあった読売新聞社の飛行場です。添え書きの自動車直接曳航というのは、グライダーを離陸・出発させる方法の一つで、車の後ろからワイヤーをグライダーにつなげて走行する方法です。
「出発前」と添え書きにある様に、胴体側面に装着されたワイヤーが、機体前方に伸びているのが分かります。このワイヤーは自動車につながっています。
グライダーの胴体の両側に装着する2本のワイヤーは、機体の前方で1本のワイヤーに合流します。このワイヤーは、「複索」またはその形から「V索」と呼ばれ、機体から一直線につながる「単索」と区別されました。別の機体の複索曳航の様子を、Web公開済の高橋氏の写真アルバムで見ることができます。高橋正夫氏アルバムNo.6 (aero.or.jp)をご参照ください。
「複索」を使うのか、「単索」を使うのかはグライダーの機種によって異なります。現在は、単索で曳航するグライダーが一般的で、複索を目にすることはありません。
参考
JA Search:JA0075 登録情報,JA Search――日本の民間登録航空機検索データベース
航空振興財団、『登録航空機一覧表』
佐藤博著、木村春夫編、1999、『日本グライダー史』海鳥社:p.150
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