航空遺産継承基金 ギャラリー 日本陸軍『航空写真帖』昭和8年5月 |
61/406枚目 画像ファイル名:Ka-089_p033-1.jpg 【オリジナルキャプション】 「パルセバール」式飛行気球 其四 昇騰直前ノ吊舟 パルセバール(パルセバルとも)飛行船は、1911(明治44)年に臨時軍用気球研究会がドイツに発注した飛行船。1913(大正2)年青山練兵場への飛行の途中、青山葬場に不時着。船体の一部を破損し、所沢の格納庫で大修理を行う。この機会にエンベロープとゴンドラを再設計し新調した。 作業は益田陸軍工兵少佐監督、岩本周平技師が主務で進めた。パルセバルと比較し、全長が伸び整った流線形にしたことで、同発動で速力、上昇力は向上。改修後の1915(大正4)年より雄飛号となる。写真には、 「岩本技師 益田大尉 石本大尉 山下大尉 井上幹事 岡 会長」 と書いてある。 それぞれ、 岩本周平:陸軍技師。明治-昭和時代の航空工学者。 明治十四(1881)年8月生まれ。東京出身。84歳。明治四十三(1910)年臨時軍用気球研究会へは田中館愛橘博士の推薦で入り、主として学術面の仕事を任されていた。明治四十四(1911)年ドイツ製のパルセバル式飛行気球を購入する際に派遣され、購入気球の製作の監督、操縦方法、保存方法、保存に必要な機械器具等の研究を行う。その後、パルセバル号の修理作業の主務として従事。フランスから航空教育団が来日した際には、航空機材料の検査に関する専修員に選ばれている。その後大正十二(1923)年母校である東京帝国大学で教鞭をふるう。昭和四十一(1966)年7月5日死去。 益田済:陸軍工兵大尉。 石本祥吉:陸軍工兵大尉。 山下誠一:海軍機関大尉。 井上:井上幾太郎陸軍工兵大佐。 岡市之助:陸軍少将。臨時軍用気球研究会会長(明治四十四年から大正ニ年まで)。 |
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