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1. 開港時の状況 2005年2月17日に無事開港したセントレア(中部国際空港)であるが、8ヶ月あまりが経過した現在、改めて当時を振り返ってみると実に様々な事が思い出される。 開港前の大きな心配事の一つは小牧空港からの引越しについてであった。成田や関空の開港時と異なり、国際・国内の全ての機能を一夜の内に移転させなければならなかったからだ。小牧のクローズが16日の21時頃、一方セントレア開港は翌朝7時で、それまでに全ての機材を常滑に移動させ、稼動できるようにするという、このような大掛かりな引越しは初めての試みであり、空港関係者、航空会社関係者は一様にそれぞれの立場で気を揉んでいた。結果的には大きなトラブルもなく杞憂に終わった。 更にもう一つの心配事は開港当日の天気のことであった。2月17日というのはまだまだ降雪の恐れがある季節であったが、幸いにして好天に恵まれ、各便とも記念すべきセントレアからの初フライトを順調に運航することができた。3月25日の愛知万博の開催初日当日、雪がちらついていたことを思うと、雪の心配をしたことはあながち大袈裟ではないだろう。 一方で他空港の開港時のように地元との訴訟問題などがなく、中部地区ばかりか全国で注目され期待されて開港を迎えられたということではたいへん幸せな空港である。 その開港当日の一番機はJALのチャーター便であった。これは前日2月16日21時、小牧を最終で立ち、4時間サイパンにステイした後、17日の7時前にセントレアに到着するという便で、この記念すべき日に日本航空が企画した「さよなら小牧、こんにちはセントレア」というツアーである。参加者は航空機マニアが中心であったが、企画が大変注目を集めて、パンフレットでの募集前に新聞誌上でトピックスとして取り上げられると15分で220席が完売されてしまい、ウエイティングが数百人とついたツアーであった。この到着一番機以降、各出発便は初便として、一部記念行事などしながらトラブルなく運航された。また同じく心配されていた空港の各システム面も大きなトラブルなく稼動していたようである。 専門家に言わせれば、これだけの空港が大きなトラブルなく開港できたのは、近年の世界の空港の中でもはじめてではないかということであった。運航については開港後も順調に推移してきたが、運航にかかわる問題ではなく見物客が多すぎたことによる混乱は、予想を超えるものであった。 開港日から3月末までに空港来場者は300万人となったが、その半数以上は航空旅客ではなく空港見学者であった。一日の最高来港者数の記録では、2月20日、つまり開港後最初の日曜日に10万人を越えた。これは愛知万博の入場者が9月には20万人を超える日もあったものの、開催初日は4万3千人であったことを思うと、その数のすさまじさが想像できる。4月以降は旅客数のほうが見学者数を上回るようになったが、8月でも平日で4〜5万人、週末には7万人の来場者が続いたことは驚異的である。 もちろんレストランは数時間待ち、話題になった滑走路を眺められる展望風呂はそれ以上の待ち時間の行列状態となった。新聞やテレビでこの混乱がたびたび取り上げられても見学者はあとを絶たず、まるでテーマパークであった。名古屋市内からの見学バスツアーも毎日何本も設定されていたようだ。セントレアの平野社長にいたってはアイドル状態で、見学者から握手を求められたり、写真を一緒にとって欲しいなどという希望者が殺到したようである。こうした中、レストランは食事をして帰ろうという見学者の行列のため、肝心の旅客は搭乗前に食事を済ませることなどできる状態ではなかった。 こんなに見学者が殺到したのは、セントレア開港が愛知万博の開催とともに中部地区の二大プロジェクトとして当初より、人々の関心を集め、地元の発展のためにみんなが期待し、待ち焦がれたものであったからであろう。またこの地区の人々が幅広く新しい物に関心を持っていたためでもあると思われる。 このように見学者による混乱は凄まじいものであったが、元々セントレアとしてはこの空港を、空港施設と商業施設が一体となった「エアシティ」のコンセプトの下、航空機利用者以外にも楽しんでもらえる場所としたいと考えていたので、空港会社としてはその事業計画を達成させたともいえよう。この空港が中部の官庁・財界はもとより、先にも述べたように地元とのトラブルもなく皆から注目され、期待され開港したことがこの成功の何よりの原因であろう。 2. 機能面からみた評価 次に開港後8ヶ月経った空港機能全般について、当社の中山空港支店長にその評価を聞いてみると、以下のようなコメントがあった。 空港の全般的な設計については、国際線・国内線を一つのターミナル内に配置し、センターピアにシンメトリックに右左に国際・国内ターミナル・スポットが設定されており、コンパクトにまとめられている。新空港供用開始後変化の激しい8ヶ月が経過した。開港と同時に、空港規模の急激な拡大、発着便数の増加、愛知万博に伴う、旅客増、特別便増、VIPの往来増、航空貨物の飛躍的拡大があり、率直に言って、その生産体制の確保、品質維持に翻弄された。 2005年9月時点では、国際線出発31都市週間357便(内貨物専用便44便)国内線出発25都市週間665便、計1022便/週に拡大した。特に貨物専用便については、旧空港比較で8倍を越える便数が就航しており、貨物取扱量も格段に増加しているのが現状である。 現在では、既に国際線にかかわる旅客・貨物を取り扱う施設は手狭な状況になりつつある。搭乗ゲート・チェックインカウンター・貨物上屋等の使用状況は曜日や時間帯によってはその容量上限近くにまで達する事態も考えられ、今後の適切な対応が必要と思われる。 週末の土曜日/日曜日は、空港の4階レストラン街は相変わらず満員で、イベントプラザは見学のお客様で一杯、展望デッキにはご家族づれの皆さんが、初秋の澄み切った青空の下、眺望を楽しまれている。そんな中で、次々と、いや粛々と航空機が定刻に離発着してゆく姿を見ていると、ひとつの空港のあり方が、楽しく見えてくるのも中部国際空港なのかもしれない。私自身、今後が楽しみな空港である。 3. セントレアの計画 さてセントレアの事業計画には
エアラインとの関係では@就航便数の拡大、A内際乗り継ぎ旅客の拡大、B乗り継ぎ時間の短縮、などが挙げられる。 @就航便数については、開港時に国際線で小牧時代の週間220便が、日本航空のパリ便の開設、ユナイテッド航空のサンフランシスコ線の開設、アメリカン航空のシカゴ線等の長大路線の開設により週間300便以上となりまずは目標が達成された。貨物便についても各社が乗り入れ週間5便から26便に拡大された。その後も空港会社や地元自治体・経済団体による利用促進活動や各エアラインの中部地域の成長性への期待があり、新規乗り入れや増便の話題はつきない。 ところで航空会社の立場に立つと、国内線は愛知万博効果により開催期間中好調であったが、国際線では善戦している路線もある一方で、中国線、韓国線など思わぬ政治問題の影響を受け苦戦している路線もある。アメリカン航空のシカゴ線は、燃油費の高騰による事業の見直しで早くも11月からの運休が決まった。また愛知万博の開催は地元の方々の海外旅行控えとなり特にリゾート路線需要にとってはマイナス要因であったが、今後は地元の観光需要の回復を期待したいところである。 Aに関していえば、成田・関空と異なりセントレアは国際・国内の両機能を有していることから、国内の各地方からセントレアで乗り継ぎ、海外に行く旅客への誘致活動にも力を入れている。開港後の地方空港からの国際線乗り継ぎ旅客数の推移は着実な増加傾向にあるものの、本格的な乗り継ぎ拠点空港を目指すセントレアが目標とする水準に達するには、今しばらく時間が必要だろう。こうした状況を踏まえ、セントレアは開港後も更に地方へのプロモーション活動に力を入れている。 Bの乗り継ぎ時間の短縮については、開港後も航空各社との調整を図りIATAのMCTをこの秋から国内から国際への乗り継ぎにつき75分から70分に短縮させることとなった。 また、航空会社との関連はないが、セントレアは、社会貢献の一環として、10月より地元東海3県の小学生を対象に学校行事として空港見学を受け入れる。今までもセントレア見学ツアーを実施していたが、地域への貢献として大変いい企画であると思われる。 4.セントレアが発展していくために 便利な空港として、その機能が改善されていけば利便性は高まるが、本当の意味で空港が発展していくためには航空需要が拡大して行くということが最も重要なことである。 航空需要には大別して、旅客需要と貨物需要があり、更に旅客需要はビジネス需要と観光需要に二分される。また貨物需要とビジネス需要は経済活動に連動している。 さて、中部を関東・関西と経済指数で比較してみると、次の資料でもわかるように中部圏は人口シェアに比べ付加価値額や製造品出荷額シェアが高いことがわかる。
こうした経済的基盤の強さは先に述べた貨物需要とビジネス需要にリンクし、航空各社が便就航や増便の判断として大いに期待しているところである。特に貨物需要については、小牧空港時代は、中部圏の航空貨物は、小牧空港利用の貨物が15%で、成田に70%弱関空に20%弱転移していたことからセントレアの潜在需要が強く見込まれていた。 一方観光需要については、トラベルジャーナル統計の海外出国者比率(観光+ビジネス)によ れば、関東圏が20%、関西圏が12%、中部圏が10%であり、中部の海外観光比率が低いと 推定される。当社の売り上げ構成比を見ても中部のビジネス旅客の売り上げは西日本とほぼ同規模であるのに、観光旅客の売り上げは、三分の一程度である。 しかしながら、一方で愛知県は日本で最も貯蓄率の高い県であり今後の観光需要拡大のポテンシャルがある地域といえる。従って需要をどう顕在化させていくかが課題であるが、そのためには、熟年者の海外旅行の活性化を図るばかりでなく、若い世代も積極的に海外に出ることを期待したい。 例えば中学・高等学校の修学旅行を海外に向けるのも一策である。当地区の若い世代が海外渡航し、文化・宗教・生活習慣の異なる人々と交流を深めることは当地区の国際化、後述する海外からのインバウンド需要の拡大につながるものと確信する。 また海外からの訪日外国人旅客の訪問地区をみると、目的地は首都圏、京阪神地区などに集中しており、地区訪問率データによれば、延べ訪問率は207.66ポイント(旅行者一人当たり2つの都道府県を訪問したことになる)で、関東は63.7、近畿が35.8、中部、北陸で20.2である。更に都市で比較すると、東京は56.5、大阪は20.9、京都は15.1、名古屋は9.1となっており、経済力に比べれば観光誘致が遅れているといえよう。具体的に中部の魅力のPRや誘致活動が不十分と実感したことがあった。 2005年9月の初旬に私は中部圏の観光誘致をミッションとした訪問団の一員としてソウルの関係団体を訪問してきた。この訪問団は愛知・岐阜・三重・静岡の4県の観光部門、中部運輸局、民間の旅行関係者で構成されていたが、日本の東北や北陸地域からは中部より遥かに積極的な売り込みをしていることが現地を訪れて初めてわかり、訪問団は皆反省させられた次第である。 またその時実感したこととして、観光誘致にはそのアプローチの仕方が、具体的で、判りやすいことが重要であるということである。中部には他地方にある観光素材は全て在るばかりでなく、それらは質的にも量的にも充分、他地方に勝ると思われる。それにも拘わらず、訪問者が少ないのは、中部地区の広報活動・営業活動が不足していることに他ならない。 つまり、今後のセントレア発展のためには、取り敢えずセントレアが力を入れている日本国内各地からの乗り継ぎ需要の拡大に加え、官民一体となって中部地区からの海外への観光需要の喚起や海外からのインバウンド需要の拡大施策を具体化していくことが重要なのであろう。 - つのがえ ひろし、 JALセールス中部支社 - |
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since 2005/10/19