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紫電改から救難飛行艇US-2/
日本独創技術航空機・開発秘話

新明和工業株式会社取締役専務執行役員
石丸寛二

*本記事は『航空と文化』(No.110) 2015年新春号からの転載です。
2016.3.15
 
     
 

1.飛行艇の歴史と現状

 「飛行艇」とは航空機の種類の一つで、「水上(湖や海面)に離発着するための船の機能を兼ね備えた飛行機」のことを言います。普段、空港で目にする旅客機と違って、捜索・救難、消火活動、離島からの患者輸送などの特殊用途で使用される為、直接目に触れる機会は少ないですが、世界では5,000機位運用されているといわれます。
 1903年12月ライト兄弟が初の動力飛行に成功してから100年以上経過しましたが、水上機の歴史は、ライト兄弟の初飛行に遅れること7年、1910年3月アンリ・ファーブルがフランス南部で飛行に成功したのが始まりです(図1)。日本で本格的な水上機が登場したのは、1922年(大正11年)当社の前身である川西機械製作所が製作した「川西K-5水上郵便機」です。
 
 
図1 世界最初の水上機
設計製作、操縦:Henri Fabre
・50 horsepower Gnome rotary engine
・初飛行:March 28, 1910, France
 
   第二次大戦頃までは、空港等のインフラが整備されていませんでした。また、着陸に必要な大型の緩衝装置付き「脚」が実用化されておらず、大型陸上機の普及は遅れていました。一方、飛行艇は水上から離発着可能な大型機というメリットを活かし、長距離輸送や航空路線運航に数多く使用されました。日本では1939年(昭和14年)、海軍の「九七式飛行艇」を改装した「川西式四発旅客飛行艇」が横浜⇔サイパンの西南太平洋航空路線に就航しています。当時飛行艇の傑作機といわれた「九七式飛行艇」や「二式飛行艇」(図2)を生んだ川西航空機の「外国の飛行機購入に頼らない独創的技術」が、戦後日本で、世界で唯一波高3mの外洋離着水が可能な「対潜飛行艇PS-1」や「救難飛行艇US-1A」(図3)を生み出しました。
 
 
図2 日本の飛行艇・水上機~第2次大戦


図3 救難飛行艇US-1A
 
   戦後、土木技術の発達で強固な滑走路の建設が可能になり、空港が急速に整備されました。また、高強度材料が出現し、大型の緩衝装置付き脚が実用化された為、航空路線の主役は大型陸上機にバトンタッチされ、厳しい運用環境と高いライフ・サイクル・コストで不利な飛行艇は次第に減少しました。
現在、飛行艇は、水上に離発着出来る特殊性と優位性に活路を見出し、消防(森林火災消火等)、哨戒監視(哨戒・偵察、海上汚染監視等)、捜索・救難(遭難した航空機の乗員救助、船舶等で発生した傷病者救助、離島の急患輸送、災害派遣等)、その他(観光やレジャー、趣味等)の限定的用途に使用されています(図4)。 
 
 
図4 飛行艇の衰退と生き残り
 
 

2.「紫電改」から「救難飛行艇」へ
(当社の航空機開発の歴史と特徴) 

 我が国最初の飛行機会社は、1918年(大正7年)5月に、当社前身である川西航空機の創業者「川西清兵衛」と中島飛行機(現在の富士重工業)の創業者「中島知久平」によって設立された合資会社「日本飛行機製作所」です。同社は約2年で解散し、川西は郷里の神戸で1920年(大正9年)2月に川西機械製作所(1928年(昭和3年)に川西航空機として同所から飛行機部が分離独立)を設立しました。これが当社のルーツです。終戦まで、海軍から注文を受け設計・製造した飛行機は累計2,398機になります。
 川西の飛行機は「大型飛行艇」と「小型機(偵察機、戦闘機等)」の二つに分類されます。前者は、九七式飛行艇(長距離飛行)⇒二式飛行艇(長距離+高速飛行)⇒(戦後UF-XS実験機を経て)PS-1対潜飛行艇(長距離+高速飛行+高耐波性)⇒US-1/US-1A救難飛行艇(長距離+高速飛行+高耐波性+水陸両用)⇒US-2救難飛行艇(長距離+高速飛行+高耐波性+水陸両用+近代化)という技術的改善の系譜を持ちます。大型飛行艇のDNAが100年近く継承され、改善・進化し続けた機体は世界に類を見ません(図5)。
 
   
図5 新明和の飛行艇開発年表
 
   また、後者の小型機も同様に、紫雲(高速水上偵察機)⇒強風(水上戦闘機)⇒紫電(陸上局地戦闘機)⇒紫電改(陸上局地戦闘機(改良型))という改善の系譜を持ちます。特に紫電改は「ゼロ戦の実質的な後継機」と言われた海軍の高性能戦闘機でした。
 戦中の「強風」から「紫電改」への技術的改善の系譜は、戦後の「PS-1対潜飛行艇」から「US-2救難飛行艇」への改善と酷似しており、ベンチャー魂を持つ川西/新明和が、航空機メーカーとしての生き残りを賭けた3つの共通点があります(図6)。
(1) 水上機から陸上機へ進化(紫電は、水上機の高馬力発動機搭載の長所を生かし、空気抵抗と低い運動性能の短所であるフロートを撤廃して、新機軸設計(空戦フラップ等)で補った)
(2)  水上機から陸上機への改造は、失敗を教訓に生き残りを賭け自主(自力)開発
(3)  3代目で集大成し傑作機が誕生(紫電改、US-1A改(後のUS-2))  
 
 
図6 紫電改と救難飛行艇の共通点
 
 

 3.新たな飛行艇の活路「救難飛行艇」

 四方を海に囲まれた日本では、遭難した航空機の乗員救助や、ヘリコプターでは到達不可能な遠洋航路上の客船、漁船等で発生した海難事故の傷病者救助、小笠原諸島などの離島で発生する急患輸送をミッションとする「救難飛行艇US-1A/US-2」が活躍しています。いわば「海の救急車」です。
 US-1A/US-2は、山口県岩国市にある海上自衛隊第31航空群第71航空隊に配備され運用されています。同隊は1976年(昭和51)年に開隊し、小笠原諸島の患者輸送等の救難実績から、1982年(昭和57年)神奈川県の厚木基地に基本的に1機待機常駐することになり、日本では合計7機が配備されています(図7)。配備基地では24時間即応態勢にあります。これまでの救難実績は、出動回数、救助人員共に約1,000回、約1,000人に上り、これは毎月平均2回出動し、2人の尊い命を救ったことになります。救難範囲は、南はフィリピン近海から北は千島列島東方海上の広範囲に及んでいます。US-1A/US-2の長距離航続能力と波高3mの外洋に離着水できる高耐波性能、並びに海上自衛隊による日々の厳しい訓練により、日本周辺海域で発生する海難救助態勢を日夜維持し続けています。
 
   
図7 US-2救難飛行艇の配備
 
 

 4.外洋飛行艇開発秘話(波との戦い)

 救難飛行艇US-1Aは、世界で唯一外洋離着水可能な対潜飛行艇PS-1をベースに、陸上空港からの運用が可能な水陸両用救難飛行艇へ改造し、1975年(昭和50年)に完成しました。両機の外形はほぼ同じですが、US-1Aは離着陸用の脚を収納する部分(バルジ)が機体両側に張り出しています。機内には救難に必要な担架や救急医療品、救助に使用するモーター付きゴムボート等の救難装備品が搭載されています。
 US-1Aが荒れた海象の多い日本周辺海域で海難救助が可能な背景には、通常の飛行艇では克服し得なかった「波」に対する3つの技術課題を克服し、実用化した点にあります(図8)。
 
   
図8 PS-1/US-1Aの外洋離着水能力
 
 

 (1)荒海で安定した運用が可能な艇体

 荒海で安定した離着水が可能な細長い艇体と、鋭いV型の艇底形状が水槽試験等によって経験的に設定されました。艇体は船に似ていますが大きく異なる点は、艇体の中央部に「ステップ」と呼ばれる段があることです。飛行艇が速度を上げ離水する時、翼には揚力が働き浮き上がろうとしますが、逆に艇底は負圧となり、水離れが難しくなります。このため艇底の後方に段差を設け、ここから空気を取り入れ艇底の負圧を緩和し、水離れを容易にします。
 ステップは水上での安定性にも影響します。離水直前は、丁度水上スキーと同じ状態であり、これに波が加わるとイルカが泳ぐのと同じ頭上げ下げ運動(ポーポイズ)や、艇体が水上を飛び跳ねる不安定運動(スキップ)に陥り大事故になりかねません。
 これら不安定運動を防ぐには、海面と艇体の角度(艇体姿勢角)を一定に維持することが有効です。このため、二式大艇から操縦席前方の支柱に赤い水平の棒(通称「カンザシ」)が取り付けられました。パイロットが離着水時、「カンザシ」と風防ガラス上のマークを見透した線上に水平線がくるよう操縦桿を保持すれば、艇体姿勢角を維持することが可能になりました。「カンザシ」は単純な指示器ですが事故防止に有効で、最新のUS-2救難飛行艇にも踏襲されています。

(2)短距離で極低速の荒海離着水

 荒海に着水する際、一番問題となるのが着水衝撃です。対水速度の二乗に比例し急増する水衝撃が艇体に加わると、破壊される可能性もあります。着水衝撃を減少するには、対水速度を著しく小さくすることが効果的です。一方、極端に低速になると、翼上面の空気の流れが乱れ(剥離)、揚力が得られなくなり失速します。この矛盾する問題を解決するため、特殊な「高揚力装置」を取り付け、極低速(約100 km/h)での短距離離着水(STOL:Short Take-Off and Landing)を実現しました。
 このからくりは、極低速飛行中「境界層制御(BLC:Boundary Layer Control)用吹き出し空気源」という艇体中央に搭載した「専用エンジンと圧縮機」から、主翼や尾翼上面に圧縮空気を吹き出すことで、極低速時の剥離を防ぎ揚力を得るものです(図9)。また極低速飛行中の機体運動が不安定にならないよう自動安定化装置等を設け、救難現場でも安全な離着水を実現しています。
 これらの独自技術はPS-1で初めて実用化されたもので、飛行艇の歴史における大きな技術革新と言っても過言ではないでしょう。
 
 
図9 極低速離着陸(水)技術
 
   

(3)離着水時に発生する水飛沫による損傷防止策

 最後に克服が必要な問題が水飛沫です。離着水時は、鋭いV型の艇底が波をきり、艇体両側から飛沫となって空中に飛び出します。機首から出る飛沫は、操縦席の風防を直撃しパイロットの視界を妨げ、時にはエンジン停止やプロペラ損傷の原因になります。また艇体側面から出る飛沫は、舵面や尾翼を損傷する原因にもなります。
 飛沫を抑制し損傷を防止するため、種々の工夫が施されています。一つは二式大艇で開発し、現在の救難飛行艇でも用いられている「スプレー・ストリップ(通称「カツオブシ」)」です。艇底に鰹節に似た形状の出っ張りを設け、飛沫を低減するものです。もう一つは「波消装置」で、艇体に沿って発生する飛沫を一旦艇体と波消板の間の溝に押え込み、飛沫の行足を止めて後方へ流し出す独自技術です(図10)。その他、艇首に三日月状の板を取り付け飛沫を押さえる「波押さえ板」や、飛沫の影響を受けにくくする為、主翼、尾翼が高い位置(高翼)に取り付けられているのも飛行艇の特徴です。
 
 
図10 飛沫抑制技術
 

5.救難飛行艇「US-2」の開発 

救難飛行艇US-1Aは誕生から約30年経過したため、「より速く、より高く、より遠く、より快適に」をコンセプトに、その後継機「US-1A改(後のUS-2)」が1996年(平成8年)から約10年かけて開発されました。US-1A改(US-2)は、改造母機であるUS-1Aの長所をそのまま維持し、加えて「離着水時の操縦性改善」「患者輸送環境の改善」「洋上救難能力の維持向上」を目的に以下の改善項目が盛り込まれた「改造開発機」です(図11)。
 (1)  コンピュータ制御による操縦システム(フライ・バイ・ワイヤ・システム)の採用。特にパイロット技量が要求される荒海離着水時の操縦負荷を軽減し、より安全な救難活動を実現
 (2)  与圧キャビン導入により前線を迂回することなく、高々度で直線・最短経路の飛行が可能となり、患者輸送環境を旅客機並みに改善
 (3)  エンジンをパワーアップし、離着水時間・距離の更なる短縮、飛行性能の改善やエンジン不時停止時の冗長性・安全性を向上
 (4)  アナログ式計器板をデジタル式統合型計器板(グラス・コクピット)に変更し、パイロットの視認性向上や操縦負荷を軽減
 (5)  与圧キャビン、エンジン換装等による重量増を補うため、主翼、波消装置、フロート等を最新加工技術や複合材料等を採用して軽量化し、US-1Aと同等の外洋離着水性能を確保

 US-1A改(US-2)は外形的に、プロペラが3翅から6翅になったことや、与圧キャビン導入で胴体上部が母機と比べて丸みを帯びたことが特徴ですが、内部の艤装、電装、システム等は最新式に置き換えられています。
 
   
図11 救難飛行艇「US-2」の開発
 
 

6.飛行艇の将来構想 

 100年近い技術的改善の歴史と、外洋海難救助という厳しい運用環境下で培われたUS-2救難飛行艇は、海洋国日本が生んだ独創技術航空機であり、現存する世界の飛行艇には、性能上、競合に成り得る機体が無い存在となりました(図12)。
 
 
●現存する世界の飛行艇で、性能上US-2の競合に成り得る機体はない   
項目 新明和工業(日本)
US-2
ボンバルディア社(カナダ)
CL-415
ベリエフ社(ロシア)
Be-200
推進系統 4発プロペラ 双発プロペラ 双発ジェット
全長 33.3 m 19.8 m 31.4 m
全幅 33.2 m 28.6 m 32.8 m
最大離陸重量 47.7 ton 19.9 ton 41.0 ton
最大航続距離 4,700 km 2,426 km 3,300 km
巡航高度 6,000 m 3,048 m 7,986 m
巡航速度 480 km/h 278 km/h 560 km/h
離水距離 280 m 808 m 1,000 m
着水距離 330 m 665 m 1,300 m
着水可能波高 3 m 1.2 m 1.2 m
   
(用途)消防、監視等
 

(用途)消防、輸送等
図12 US-2 と海外飛行艇との比較
 
 
   一方では、防衛予算の漸減により、US-2の様な独創技術を持つ日本の防衛生産・技術基盤の存続が懸念されています。2010年(平成22年)防衛産業・技術基盤の維持・強化等を目的に「防衛省開発航空機の民間転用に関する手続き」が制定されました。これでUS-2をはじめとする防衛省開発機は、技術資料の開示申請・承認を経て、防衛省以外の顧客への営業活動が可能になりました。翌2011年(平成23年)にはインドから飛行艇調達の引き合いが入り、2013年(平成25年)の日印首脳会談共同声明を経て「US-2飛行艇の協力の態様を模索する合同作業部会」が設置されました。日印政府間協議の枠組みを通した飛行艇の輸出実現に向け、官民一丸となって取り組んでおります。
 US-2飛行艇の多用途化(民間転用)は、改造規模に応じ「多目的飛行艇」「消防飛行艇」「旅客飛行艇」の三つの構想があります(図13)。多目的飛行艇は顧客仕様に応じ小規模改造を行うもので、インド向け飛行艇が該当します。また消防飛行艇は、艇底燃料タンクを消火用水タンクへ換装する中規模改造です。震災時の大規模火災や、地球温暖化による林野火災等に対して、大型機のメリットを生かしたUS-2消防飛行艇による空中消火を想定し、風洞試験やフライト・シミュレーション試験を実施しています。今後は、消火用水タンク・システムを試作し、地上での放水試験等を実施の上、実証機による実機評価試験を構想しております(図14)。
 
 
   
図13 US-2 多用途化(民間転用)


図14 US-2 型救難飛行艇の消防飛行艇への改造
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   この日本独創技術飛行艇へ更なる改善を加え、多機能飛行艇として世界へ輸出することで、外洋海難救助のみならず、海洋安全保障、大規模震災・火災等の防災・減災、地球温暖化による環境保全等の多様なミッションと貢献が可能です。海と空へ低速かつ高速で、立体的にアプローチ出来るユニークな特性を持つUS-2が、世界の飛行艇の新たな歴史の1ページを作って行くことを確信しております。   
 
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