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歴史に見る模型飛行機の顔さまざま
(6)  室 内 機 
大村 和敏
2010.08.15
   
   

1. はじめに

 室内(indoor)で飛ばす模型飛行機を「室内機」と呼びます。FAIのスポーティング・コードでは、もう少し厳密に「周りを囲まれた(enclosed)空間のみに於いて飛行できる模型飛行機」と定義しています。

        図1 カーディントン飛行船格納庫のF1D級室内機(1976年)
    

 室内、あるいは「周りを囲まれた空間」では、風や上昇気流が存在せず、日照や降雨などの気象変化もありません。だから、そのような空間を飛行する模型飛行機は、自然の環境に影響されず、一定の条件の純粋化された「空気」を相手にして、設計・製作された機体の性能が理論どおり発揮されるはずです。
現実はそこまで純粋ではなく、飛ばす部屋の建付けや外界の気象変化の間接的な影響によって気流は変動し、必ずしも理論計算どおりの飛行性能にはなりません。それでも気象変動が何でもありの野外機(普通の模型飛行機)に比べると理屈通りに近い飛行をします。つまり、競技成績に対して「運」が影響しない競技種目なのです。

 普通の「模型飛行機」は、青天井のアウトドア活動です。 始めるに当たっては、機体を持って手近な空き地に行けば飛ばすことが出来ます。そして、運がよければそこに先輩が居て、指導をしてもらえます。アウトドア模型機は多数派であり、アウトドア活動としての楽しみ方も開発されていています。そして、一般の人もそれが当たり前の模型飛行機だと思っています。だから、模型飛行機に室内機から入門することは稀なコースだと思います。

 屋外で模型飛行機を飛ばす場合は、公共の広場を使いますから、ほとんどの場合は無料で飛ばせます。これに対して室内機の場合は、管理者の居る体育館などの建物を使わせてもらわなければならないので、一般に有料であり、その前に使わせてくれるかどうかも交渉しなければならない場合もあるのです。
室内で飛ばす模型飛行機のことが一般に広く知られていないので、管理者が理解をしてくれない場合があります。模型飛行機といえばエンジンつきの大型高速のRC機しかイメージに無ければ、施設を壊されないか心配になるのが当然で、使用を断られる状況も生じます。

 また、FAIが航空スポーツとして認定しているにもかかわらず、模型飛行機がスポーツとして認知されていない状況があります。体育館は体育スポーツが目的の施設ですから、室内機を飛ばすことは非スポーツである「大売出し会場」などと同種とみなされて、割高な使用料を取られることもあります。室内機を一人で始めるためには、このような事務的な繁文縟礼の壁を突破しなければならないので、「ライトプレーンをもって公園に行く」事に比べるとハードルは高いのです。

 それでも室内機は少しずつ普及し、種類も賑やかになり、テレビなどでも紹介されるようになってきました。先輩モデラーたちも一つずつ飛行拠点を確保して、室内機が飛ばせる場所を増やし、ウエブサイトにも公表しています。
このような拠点を探して訪ねることが出来れば、室内機の入門はかなり容易になります。しかも、飛ばす場所は街の中にあり、天候に関わらず、夜でも使えます。屋外と違って「風待ち」の必要がなく、飛行場所に居る時間は100%使えます。

 映画やスポーツを見に行く、ボーリングやスポーツジムで運動をする、などの活動と同じように、模型飛行機を飛ばすにも料金を払うのが当たり前と言うことが納得できれば、室内機のファンはもっと増えるでしょう。


2. 草創期

 飛行機は、そして模型飛行機も、本来は青天井を飛ぶものです。だから、「室内空間を飛行する」ということは舞台が違う感じがすることは確かです。
然るに、草創期の模型飛行機の実験(第1回参照)は、室内で行なわれた例が多いのです。ケーレー卿は飛行実験(1809)に自邸の吹き抜けホールを使ったと言われ、ストリングフェローの蒸気エンジン機(1848)も工場建屋内の飛行でした。ペノーのゴム動力機の飛行(1871)はパリの庭園で行なわれていますが、データを分析すると小ホールでも収まる程度の飛行です。草創期の模型飛行機は飛行能力が低く、飛行範囲も小さいので、自然の擾乱が少なく、整備や操作など取り扱いが容易な室内が選ばれたのだと思います。

 これらと、現在の室内機の始まり(1920年代末)との間には、長期間の断絶があり、材料や飛行方法も大差があるので、ここでは別物として扱います。
現在の競技用の室内模型飛行機の始まりは、アメリカのようです。起源に付いての記録は不詳ですが、室内機は軽量材料バルサの使用が条件となる機種で、模型飛行機の「バルサ革命」(前回参照)はアメリカから起こっているのです。アメリカの雑誌などの室内機の記事は、バルサ革命(1920年代末)と同時に掲載され始めました。室内機を飛ばせる場所になる体育館・室内運動場・大ホールなどの普及も、アメリカが他国よりも先行していたのではないでしょうか。

 バルサのような軽量材料が導入されれば、機体の軽量化によって飛行速度は遅くなり、狭い場所で飛ばしやすくなります。加えて風が吹かない屋内ならば、機体の強度を落としても壊れる心配はありませんから、さらに軽量化できます。従って、野外で飛ばす模型飛行機に比べて大幅な重量軽減が可能で、室内のような狭い環境をゆっくりと長時間飛行する模型飛行機が成立します。紙飛行機よりも複雑・高級で興味深く、野外で飛ばす同級機よりも長時間飛行できる模型飛行機が、出現する条件が揃ったわけです。

 1930年頃の大型のゴム動力滞空機は、数分の滞空を行なう性能を持っていました。現在のライトプレーンの原型のような小型で簡単な模型機も数十秒は飛んだと思いますが、いずれも室内専用にすれば、2倍以上の滞空を楽しめたはずです。


3. 初期の発展

 初期の室内模型飛行機の発達を牽引した機関車役は、ゴム動力の滞空機です。外見はライトプレーンに似ていますが、内容は似て非なる最高級機種です。「室内機」と言う特別な条件に適合した技術革新を重ね、現在の滞空性能は10倍くらいの差がつきました。

      図2 標準的な室内機の構造/これで重量が2g程度に仕上がる
      

 1920年代半ばに、アメリカで室内機の飛行が始まり2分は飛んだとされています。平板の、効率の低い翼型の紙張り翼であったそうですが、現在のライトプレーンを軽量化して室内飛行向きに調整したというイメージです。以来、カンバーつきの翼型(湾曲面)を使うことによって5分、中空のパイプ胴を使った軽量化によって10分と、1930年までの短期間に滞空時間は急激に向上しました。さらに1934年には、紙に変わってマイクロフィルムで翼面を張る手法が開発され、22分が記録されています。つまり、最初の10年未満で滞空記録は10倍も向上したわけです。

           図3 室内機の滞空記録の推移
    

 マイクロフィルムは、ドープ(航空機用塗料)を水面に滴下させ、油膜のように広がったものを枠で掬い上げた、きわめて薄い膜です。重量はゼロに近いので軽量化の効果は大きく、滞空時間を大幅に向上させました。それまでは薄い紙が使われていましたが、1平方dm(10㎝四方)あたり0.1g近くあるので、現在のA級ライトプレーン程度の小型機でも紙だけで0.5~1gに達します。マイクロフィルム張りの室内機の場合、機体重量全体で0.5g~1gですから、その軽量化効果の大きさがわかります。

             図4 室内機用マイクロフィルム
  

 ドープ塗料は、基本的にはニトロセルロース(セルロイド)をアセトンなどの溶媒に溶かし込んだものです。当時は、セルロイドが定規・定期入れ・歯ブラシの柄などに使われる、代表的なプラスティック材でしたから、草創期の室内機モデラーたちは大量の溶媒の中にそれぞれを片端から溶かし込んでみて、水を張ったバスタブに滴下させて試行錯誤を行なったという逸話が残っています。

 後には「マイクロフィルム液」も市販されました。少量の油など、弾力性を増やす成分も加えられているようですが、秘伝もあるようです。現在は、多少は重い代わりに大幅に丈夫な極薄プラスティックフィルムが生産されています。後述するように、普及路線によって機体の重量が重く設定されるようになったので、市販のフィルム材が使われることが多くなりました。

 マイクロフィルム張り翼の軽量化を補完した技術が、極細のタングステン線(電球のフィラメント線)による翼の張り線です。実機では、支柱や張り線が姿を消して、すっきりとした片持ち翼になった時代でしたから、それに逆行する手法ですが、低速(飛行速度1m/秒程度)の室内機の場合は軽量化のほうが有利でした。

 室内機の滞空時間を延ばす構造上の手法は、最初の10年で出尽くした感があり、その後は洗練化・量的拡大などによって滞空記録が向上していきました。第2次大戦の空白を経て1949年には30分を超え、1962年には45分を超えました。


4. 室内機の目標が「記録」から「競技」に変わった

 1962年の世界選手権で45分を記録した機体は、スパン90㎝の大型機で、飛ばした場所も高さと幅が40m以上、長さは300mくらいの飛行船の格納庫でした。要するに、大きな機体を作って、大きな空間で飛ばせば、記録はいくらでも向上すると言うことなのです。

    図5 スパン900㎜で45分滞空したカール・ハインツ・リーケ機(図3参照)
     

 現在では室内野球場など、天井がさらに高く、有効面積も大きい「室内」が建設されていますから、その気になれば滞空時間1時間を楽に越えることも可能です。しかしながら、このような競技場の所在は一部の国に限られ、特大の機体の製作も名人芸です。FAIは普及面を考慮して、機体の小型化(スパン制限)を図りました。だから、1970年の世界選手権の優勝記録は、再び30分台に低下しています。

 同時に、競技場の規格化・階層化を行い、天井の高さによって区別しました。従来の記録は、無制限級の大きな競技会場で出されたもので、それと別に小学校の体育館などの小会場の記録も会場の大きさ毎に認定するようにしました。上記のような大会場の使用料は半端ではありませんから、モデラーが通常使える飛行場所は広くはありません。そういう場所でも競技記録が認定されるようになれば、競技会も増え、全体の励みになり、普及が進むわけです。

 室内機の世界選手権は、すでに制定されていた野外用のゴム動力機、曳航グライダー、エンジン機(夫々F1B級、F1A級、F1C級)の後から、1961年にFAI競技に取り入れられ、競技クラス名は「F1D級」と命名されました。当初は、仕様がほとんど無制限で、絶対記録の樹立を目標とする機種でした。そのため、滞空時間は上記のようにほとんど無限に向上し、「会場の広さ」のような機体の性能以外の要因で記録が決まるようになってしまいました。そのため、現在までに大きさ(主翼スパン)が何回も短縮され、機体重量の下限、動力ゴムの上限などさまざまな制限を行い、特殊化にブレーキをかけては居ます。それでもF1D級は、いまだに性格としては最高の技術を必要とするトップエンドの競技種目です。

    図6 スパンを切り下げ(650㎜)したリッチモンド機(図3参照)
  

 FAIは普及路線として、F1D級より小型で、重く骨太な競技種目F1M級とF1N級も追加制定しました。ともにアメリカでクラブ規格の「イージーB級」、「ペニープレーン」から普及拡大した機種で、主翼スパンは45㎝と小さく、狭い体育館でも楽しめます。1960年代頃までは、室内機は、理論派エリートが最高水準の技術を無制限に投入し、大きな室内空間で世界記録の追及を目的として飛ばす、難しくて敷居の高い競技種目でした。それが以降は、中級の技術でも手が届き、街の中の身近な小ホールで飛ばせる、選択幅の広い機種に代わってきたのです。

       図7 入門用の骨太の規格。1セント銅貨の重さ(3.2g)以上のため
            「ペニー・プレーン」と呼ばれた。後に国際級に採用。

      


5. 機種の拡散

 さらに最近になると、ゴム動力の滞空種目だけに限られず、スケールモデルや、電動モーターなどを使ったRC機など、機種や飛行目的の拡散も起こってきました。

5-1.室内ハンドランチ・グライダー
 ハンドランチ・グライダー(バルサの削りだし翼の機体を手で投げ上げるグライダー)は、バルサ革命によって出現した機種です。現在では野外型が多数派ですが、発生は同時で、草創期は室内型のほうが雑誌などに掲載された例が多く、多数派であった可能性があります。
 
 ハンドランチ・グライダーは、Uコンなどと一緒に、アメリカ流の模型飛行機として終戦直後に日本へ導入されました。空襲の焼け跡が残っている状況でしたから、大きな室内空間などは無く、最近まで100%野外型として続きました。日本で室内型が注目され、研究されるようになったのは今世紀になってからで、室内ゴム動力滞空機が定着した後です。

 室内・野外ともに、ハンドランチ。グライダーは投げ方が開発され、それによって大型化が進み、空力効率が向上して記録が塗り替えられると言う進化を遂げています。はじめは、折り紙飛行機のように親指と人差し指でつまんで投げていたようです。大きさもスパン30㎝位で、今よりもずっと小型でした。

 次に、いわゆる「野球投げ」になりました。直球グリップで、人差し指と中指で胴体をはさみ、主翼中央後縁に引っ掛け、親指と薬指で胴体の前方を支えて投げます。以前の「つまみ投げ」に比べてユビのスナップが使え、力も入れやすくなったので、スパンは徐々に拡大され60㎝位になりました。

図8 室内用ハンドランチグライダー。バルサ板製。野外用に比べて軽量で尾翼が小さい。
  1970年代の野球投げ型・小さいほうの機体は翼幅315㎜で重量2g

  

 最近登場した投げ方が、全く発想が異なる「円盤投げ」あるいは「アンダースロー」です。機体の翼端を掴み、体を回転させて接線方向に投げ出します。大型のRC付ハンドランチ・グライダーに始まった投法で、大型(長いスパン)ほど円周速度を上げられるので、初速が高くなります。大型機ほど空力効率が高く、沈下速度は小さくなるので円盤投げは相性がよく、室内ハンドランチ・グライダーにも取り入れられました。スパンは1mくらいに拡大され、記録も向上しています。

5-2.電動RTP(Round The Pole)
 1970年ころから、スパン30~50㎝のスケール・モデル(別項で後載)に小型のモーターを搭載し、中心の支柱に索でつなぎ、周回飛行させる「電動RTP(Round The Pole)」機が流行しました。欧米では、この大きさのゴム動力スケール・モデルのキットはたくさん市販されていましたが、自由飛行させるのは難しかったのです。

 実機は、操縦によって安定を保って飛行していますから、そのスケール・モデルはRCやコントロール・ライン(Uコン)のような操縦型の模型飛行機との相性が良いのですが、その場合は強力なエンジンがついた大型機になります。小型のゴム動力キットを流用して、手軽にスケール感のある飛行を楽しむために考案されたコントロール・ラインの形式が、室内で飛ばせる電動RTPであったわけです。

 Uコンは2本のハリガネで機体とつながっていますから、これを利用して機体に電流を送り、機体のモーターを駆動して飛行させるアイデアは、Uコン発明(1940年頃)からしばらく経つと出てきたようです。しかしながら、適当なモーターが無く、実用化・普及したのはスロットカー・レーシング用のモーターと周辺機器が開発された後になりました。

 操縦索兼電線は、絶縁しなければならないのでUコンの鋼索より太くなり、電圧の損失もあるので室外機のように長くは出来ません。ホールや小さな体育館にあわせた半径数mが手ごろで、スケール感のある飛行が楽しめました。
操縦者は円周外の「操縦席」に座り、「操縦桿」と「スロットル」を操作するので、Uコンのハンドル操作よりも実物感があります。操作は、床の電線などを通じて中央のポールに伝えられ、ポールの上端に付いているベルクランクを介して機体を操縦します。日本でも追随して、1970年代前半に東京の信濃町の千日谷会館(!)を中心に飛行会が催されました。

  図9 室内電動RTP(ラウンド・ザ・ポール)。左端が飛行円の中心でポールがあり、
     右端が飛行円周で索につながれた機体と「操縦席」と飛行者。

        

5-3.ピーナッツ・スケール
 ピーナッツ・スケールは、定尺のスケールモデル・キットから発展した、スパン33㎝以下の超小型ゴム動力スケール機です。1967年に機体の仕様制限の大枠が作られました。機体の外観審査と、滞空時間の計測を組み合わせた競技です。

 当初は「室内機」ではなく、粗っぽい構造の初心者向けキットが多かったので、野外が主体でした。年を追って精密・巧緻になり、軽量化されて室内で飛ばすものが増えました。室内の競技も始まり、「両棲類」のような機種と言えます。スケール・モデル機に付いては、その項目で後載する予定です。

      図10 室内用ゴム動力スケールモデル(複葉古典機)
  

5-4.室内RC曲技機(F3P級)
 最近注目されている種目で、強力なモーターと軽い機体の出現によって可能となりました。操縦型模型飛行機の競技は曲技に始まり、F3A級はFAI最初のRC公式種目です。その室内版がF3P級で、飛行場所不足の解消と新しい分野の開拓を狙った種目です。

 競技場としては、広さが40m×20m、高さが8~12mの室内が推奨されています。おおむねバレーボールを行なえる広さで、ゴム動力室内機の滞空競技会場のランク付けでは小さい会場です。

 使われる機体は「ヘリコプターを除く重量300g以下の模型機(model aircraft)で、地上に居るパイロットがRCで操作した舵面によって姿勢・方向・高度など空気力学的な運動をおこなうもの」とされています。「飛行機」とは書いてありませんが、現実に使われている機体は大きな複数のエアブレーキなど、通常の3舵に加えて特殊な舵面を追加した、「特殊な飛行機?」を基本としています。

   図11 F3P級室内用電動RC曲技機。基本は「飛行機」であるが、大きな複数の
      エアブレーキなど特殊装備が追加されている。スパン80㎝位、重量100~150g

  

 あわせて、強力なモーターが機体重量以上の推力を発生しますから、プロペラだけで機体を支え、そのまま垂直に加速・上昇できます。水平方向の移動の場合も、機軸を相当角度上向きにして、推力で機体重量の相当部分を支えています。飛行機は、翼の発生揚力で飛行するのが基本ですから、このような飛び方は例外的であり、「飛行機」の定義との関係には議論があるところです。

5-5.室内飛行ロボコン
 理系の高校・高専・大学などで、創造力の開発を目的に、特定のタスクを行なうロボットの開発・製作・操作のコンテストが行なわれてきて、テレビ番組の定番になっています。当初は地上版でしたが、数年前から空中飛行版が始まり、室内を飛行し、一定のタスクを行なう航空機の競技が行なわれています。

 最近のタスクの例としては、一定のビデオカメラを搭載し、床上の記号(文字)を写し、それを別室のモニターに送信して読み取らせると言うものでした。
要するに、一定のペイロード(カメラ)を搭載して、室内の記号の真上を正確に飛行し、それを写して送信するわけです。模型飛行機分野としては、低速で安定良く、希望のコースを正確に飛行する操縦性が要求されます。

 前項(5-4)のF1P級でも可能ですが、チームは正則の工学を勉強してはいるものの、模型飛行機を初めて飛ばす学生ですから曲技機は無理で、自分の手に負える飛行機を開発しなければなりません。また、当然ながら厳密なBOM制です。

 地上版同様に、タスクは年々難しく変更されるでしょうから、それを追って専用の飛行機などを開発する必要があります。楽しみのための模型飛行機とは異質な部分がありますが、区別は曖昧で、一般の競技方法に参考になる「室内機」です。

 

大村 和敏 (おおむら かずとし)
日本模型航空連盟

編集人より
大村和敏氏は元模型航空競技・ウェークフィールド級日本選手権者であり、模型航空専門誌にも寄稿されています。

         
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