日本航空協会のホームへ

   


   
カティンへ
—ポーランド大統領機墜落事故の関連要因について—

 
伊地知 恵
2010.06.15
   
   

はじめに

 本年(2010)4月10日、ポーランドのカチンスキ大統領夫妻を始めとする政府高官等を乗せたツポレフ154型機が、ロシア西部のスモレンスク空港付近の森林地帯に墜落した。96名の搭乗者全員が死亡した。

 搭乗者は、カティンの森で行われる予定の追悼式典に出席する予定だった。カティンの森(正確にはスモレンスクから10kmほどのグニェズトヴォ村)には旧ソ連赤軍による大虐殺の犠牲となった多くのポーランド兵が眠っている。

 虐殺事件の真相の解明には長年を要し、当初ソ連側はナチス・ドイツ軍の仕業であると主張していた。2009年、ようやくロシアのプーチン首相はこの事件を旧ソ連側の「犯罪」と認め、2010年4月7日、ポーランドのトゥスク首相と共に同地の慰霊碑に跪いた。その3日後の10日にはカチンスキ大統領一行が追悼式典に参加するはずだった。

 ロシア側はプーチン首相のもと、事故調査委員会を設置し、ポーランド側との協力のもとで事故原因の追究に全力をあげている。予備的調査では、春秋に同地域を覆う濃い霧による視界不良と、こうした悪条件下でのパイロットの判断ミスが原因の大筋と見られている。

 事故原因はヴォイスレコーダーの分析結果を待たなければわからないが、本稿では現在までに報道等で明らかになりつつある事故の関連要因について考え、またロシア国内で発生した本事件と類似の「悪天候、視界不良の条件下の滑走路進入時の事故」の原因を確認することで、本事故の原因に少しでも近づければと思う。

1. 大統領機墜落の概要

 墜落時の様子は、次のように要約できる。
 中欧ヨーロッパ夏時間7時23分、ロシア国内のスモレンスク北空港に向けてワルシャワ・フレデリック・ショパン空港(スモレンスクより800km)を離陸した大統領機ツポレフ154M機は、約1時間半のフライトの後、同8時56分、ロシアの西の玄関であるスモレンスクの北方に墜落した。

 この1時間前、報道陣を乗せた公用機がスモレンスク北空港に無事着陸しているので、この1時間の天候悪化がいかに急速であったかがうかがえる。後続のイリューシン76機は同空港への着陸を諦め、モスクワ近郊のヴヌコボ空港に臨時着陸している。大統領機が上空に到着した時点ではスモレンスク北空港はすでに濃い霧に覆われており、同機パイロットは目的地空港の管制からモスクワ(目的地より400km)またはミンスク(目的地より300km)のいずれかに臨時着陸するよう、アドバイスを受けた。

 しかし大統領機は空港の数百メートル上空を周回し、3回の進入復行(進入のやり直し)を試みた後、4度目の進入において、スモレンスク北空港付近で高さ10メートルの樹木に接触し、墜落した。飛行経路は、通常のランディングパスから300mから400m下方に逸れていた。
 

2. 事故に関連すると考えられる要因

(1) ツポレフ154型機は事故原因か?

 この事件直後、多くのメディアが驚きを交えて報じたのが、一国の大統領が、旧ソ連製のツポレフ154機を使用していた、しかもそれは製造から20年を経た代物だったということだった。しかし、政府要人が旧ソ連製の機材を使用することをすぐさま事故原因に結びつけるのはいささか短絡的である。

 3つのエンジンを持つツポレフ154機は、とにかく推力が大きく、速い。大統領はこの機種を好んで使用していたと言う。他にも旧ソ連製の機材を公用機として使用している国は、少なからず存在する。ロシアは言うまでもない。自国で製造された4発のワイドボディであるイリューシン86を政府専用機としている。

 スロヴァキアの政府専用機はツポレフ154s2機とヤコヴレフ40s2機のみである。ブルガリアはエアバス319の他、ツポレフ154、モルドヴァはヤコヴレフ40、チェコもエアバス、ボンバルディアの他、短距離用にヤコヴレフ40を使用している。体制転換後、旅客機としては西側製造のボーイングやエアバスなどの導入が進んだが、政府専用機としては未だに旧ソ連型機が整備を万全にしつつ使用されているというのが現状だ。

 また、製造から20年という年月は、航空機についてはことさらその老朽化が指摘される年月でもない。現に「御召機」や「空飛ぶ総理官邸」と言われる日本の政府専用機も導入からすでに22年が過ぎている。

 ポーランド大統領機は、2009年12月に大規模な整備点検が行われており、整備プラントの責任者であるアレクセイ・ギュセフ氏は、整備時点での問題点はなかったとポーランドテレビ局に話している。また事件直後に回収された2つのフライトレコーダーの調査を行ったロシア側調査団も、同機を事故原因とする考えを否定している。事故原因の調査をロシアが指揮していることから、ロシア側の責任逃れだとの見方もあり得るが、機材そのものを事故原因とする考えはひとまず除外して良いだろう。

(2) 空港施設の不十分性 — 計器の互換性の欠如

[ILSとPRMG]
 空港に適切な航空保安無線施設や着陸援助施設がなかったことも指摘されている。ロシア最大のシェレメーチェヴォ空港では、滑走路をまったく目視できない悪天候の中でも無事に着陸できるシステムが完備されており、ICAOから空港設備の最高ランクであるCAT III Aを承認されている。ILSと呼ばれる計器着陸装置が、航空機の垂直方向と水平方向の位置を正確に捕捉し、着陸まで誘導する。

 しかし、そうした施設がない空港では、降下中の定められた高度までに滑走路が目視できなければ、進入復行しなければならない。つまり進入のやり直しである。

 到着予定だったスモレンスクの空港には、西欧型ILSの装備がなく、同様の指向性誘導電波を発するロシアスタイルのPRMGが装備されていた。しかしこれは大統領機側のシステムとの互換性がなく、使用することができなかった。大統領機に搭載されていたのは西欧型のILSだったからだ。そうなればこの日の濃霧の中で安全に着陸するためには、どこかで滑走路を目視するか、そうでなければ他の空港への緊急着陸を試みなければならない。

[高度規正値の相違とTAWSの有効性]
 また、同機には対地接近警報装置(Terrain Awareness and Warning System, TAWS)が搭載されていたが、稼働していたか否か、また有効に機能していたかは定かではない。

 通常空港に着陸する場合、高度は平均海面からの高さ(単位はフィート)に規正されるが(QNH)、ロシアの場合は、着陸する空港からの高さ(単位はメートル)に規正され(QFE)、着陸する空港の海抜が高い場合、平均海面からの高さに空港の標高を加えなければならない。航空機内の全ての高度情報をQFEに設定しなければTAWSは正確に機能しない。また管制からの高度情報もQFEにより指示されるため、後に述べる2008年のポーランド空軍機の事故のように、操作手順が混乱に陥った可能性もある。

 具体的な状況はわからないが、樹木に接触したことを考えた場合、高度を正確に捉えていたかどうかが疑われる。
 
 冒頭に述べたように、春秋にはしばしば深い霧に覆われるとの情報がありながら、悪天候時の対応がこれほど不十分な空港を目的地とせざるを得なかったのはなぜか、この点については「おわりに」の部分で述べることとする。

(3) 大統領の命令とパイロットの判断

 滑走路を目視するため、同機のパイロットは3回の進入復行を行い、4回目の進入を試みた。この間、ロシア側の管制より、同空港が濃い霧に覆われているため、モスクワかミンスクの空港に進路変更して着陸するよう、数回にわたり指示が出された。いずれもスモレンスクから400kmおよび300km離れた場所にある。パイロットは、4回目の進入で着陸不可能なら、進路変更するつもりだと答えたと言う。4回目の進入の間に降下率は下げられ、グライドパスからもはずれている。そして空港近辺で高さ10mの樹木に接触し墜落した。

 通常、せいぜい2、3回で諦める進入を4回も試みた背景には、何としてもカティンへ、という強い思いがあったのだろう。同機を操縦していたパイロットと大統領との心理的な関係は明らかではない。

 多くのメディアが例にあげているのは、2008年8月の南オセチア紛争の時の一件だ。カチンスキ大統領を乗せたツポレフは、グルジアの首都トビリシに向かっていたが、当時のパイロットは危険を回避するため、トビリシではなく隣国アゼルバイジャンの首都バクーに着陸した。進路変更するパイロットに対し、カチンスキ大統領が、命令に従うよう強要ないしは脅迫したと報じられているが、他方でパイロットになる人間は臆病ではならないと激励されたとも言われている。後日このパイロットはその判断を評価され、勲章を授与されたと言う。

 ポーランド国民にとって、長年の悲願だったカティンへの追悼、しかもロシアとの共同追悼式典は同機に登場していた全ての人々にとって、最優先事項だったに違いない。ただコックピットの操縦席に座るパイロットのみが、冷静に状況を判断しなければならない立場にあった。カティンへ急ぐ大統領一行から何としても着陸せよとのプレッシャーがかけられていたのか、しかしそうした圧力を跳ね返せる危機判断がパイロットにあったのか、ヴォイス・レコーダーの分析結果が待たれる。

(4) 携帯電話の使用による電磁波障害

 5月下旬になり、事故との関連要因として、携帯電話による電磁波障害の可能性が浮上してきた。調査の結果、搭乗者のほとんどが墜落直前まで携帯電話を使用していたことが明らかになり、飛行機の計器に何らかの悪影響を及ぼしたのではないか、と考えられている。ポーランド側のセレメト検事総長は、携帯電話の電波が航空システムに障害を与えたという可能性も排除できないとしている。
 
 5月下旬までの各国メディアで伝えられている報道内容から、大まかな事故関連要因をまとめた。次に、2000年以降にロシア国内で発生した「悪天候、視界不良の条件下の滑走路進入時の事故」を例にとり、上記以外の関連要因となり得るものを推察してみよう。尚、データはFlight Safety Foundation (www.flightsafety.org) のAviation Safety Networkの情報に基づいた。

3. 過去における「悪天候下の進入時」の事故原因

(1) 管制と気象観測所、パイロット間のデータ連携の欠如

 悪天候時のアプローチの事故に限定して見ると、ロシアでしばしば事故原因となるのが気象情報の遅延である。

[2002年8月Bostok Aviacompania359便の事故]
 悪天候時の気象データが連携されなかった例としては、2002年のBostok Aviacompania359便、アントノフ28型機の事故がある。16人の死者を出したこの事故も、目的地の天候の急速な悪化が背景的要因にあった。同機がロシア国内のPolina Osipenko空港をAyan空港に向けて離陸した時、目的地の気象は離陸前に報告された5000mから急速に悪化していたが、気象観測所からの情報の伝達が追いつかず、同機がアプローチを開始した時点での視程は50mに悪化していた。濃霧の中、再度アプローチを試みた時に同機は山腹に衝突し、その後谷へと墜落した。

 この事故の原因は、目的地の気象レポートが1時間遅れていた事、代替空港の最新気象情報が入手されなかったこと、また濃霧により滑走路が視認できなかった時点での進入復行のプロシジャー(操作手順)が確立できなかったこと、気象観測官が連続的に重要情報を提供しなかったこと、Ayan空港での誘導支援設備がなかったこと、Ayan空港での管制と測候所との情報連携が確立されていなかった点など、多数あげられている。

[2007年3月UT Air 471便の事故]
 また2007年3月17日、UT Air471便、ツポレフ134A-3の事故では、目的地での急速な気象悪化にも関わらず、気象情報提供者から管制への情報提供が提供されなかったことが原因となっている。関連の基準や手順が相違から、管制はレーダーの性能を使いこなすことができず、また乗務員との間の調整もお粗末だった。運航、管制、気象、その他のサービスに関する統一した連邦規則の欠如が、事故を招いてしまった。

 事故原因は、組織、技術、プロシジャーの全てにおける欠陥と、管制と気象との連携不足、そして乗員の人為的ミスであるとされている。リアルタイムで気象情報を獲得できる日本においては考えられない事故原因であるが、ロシア国内の空港では、2007年の時点でこのような事故があり得たことを語っている。

 今回の大統領機墜落の事故では、管制は天候悪化により代替空港への着陸を勧めたとされているが、その際の正確な気象データの送信は万全だったか、が問われる。「この程度なら大丈夫」と判断させる情報があったのか、ヴォイスレコーダーの解析が待たれる。

(2) パイロットと管制官の慣熟不足と操作ミス

 ロシア国内の事故で目立つのが、計器に対する操作ミスを原因とする事故である。乗員のみならず、管制官側のミスも報告されている。

[2008年9月 アエロフロート821便の事故]
 2008年9月のアエロフロート821便、ボーイング737機は、モスクワ、シェレメーチェヴォ空港を離陸し、ロシア国内のパーム空港に向かった。パーム空港へのアプローチの途中、悪天候の中、滑走路手前で墜落した。

 当該機のパイロットが西側ジェット機用の計器であるAttitude Indicator (ADI)に習熟しておらず、視界不良の中での飛行機の体制(attitude)のコントロールに失敗したことが原因であった。ADIは、外国機あるいは国内の最新型機には搭載されているが、当該機の乗務員が習熟していたツポレフ134およびアントノフ2に搭載されている装置とはディスプレイが異なり、訓練不足だったことが指摘されている。

[2008年1月 ポーランド空軍機の事故]
 またポーランド空軍機の事故としては、2008年1月のCasa C-295M機の事故がある。Poznan-Krzesiny空港を離陸したCasa C-295Mは、目的地であるMiroslawiec空港手前で着陸に失敗し、墜落した。

 同機のパイロットはCasa C-295機操縦の経験がなく、計器に頼らず操縦したが悪天候下で滑走路、進入灯を目視できず、様々な要因が重なり事故に至った。その一つに、パイロットも管制官もPARアプローチに慣熟していなかった点があげられる。PARアプローチは精度上、ILSと同等の精密進入を可能にするが、管制官が口頭で着陸誘導する点でILSと異なる。従って、このケースのように、管制官の誘導が適切でないと大惨事を招くことになる。

 さらにパイロットも管制官も飛行高度のセッティングを謝っていた点が事故原因にあげられている。通常空港に着陸する場合、飛行機の高度計は平均海面からの高さ(単位はフィート)を表示するが、ロシア管制は着陸する空港からの高さ(単位はメートル)で指示するため、操作が混乱する。このケースでも飛行機側では機長はQFEを、副操縦士はQNHを、バラバラにセッティングし、さらに管制側も両者を混同し、不適切な指示を出していた。

 また副次的要因として、ポーランド空軍もミロスラウィエク空港も、ICAO基準の計器進入方式を満たしていなかった点、さらに空港のILS装備が故障していた点が指摘されている。

おわりに

 以上がこの事件に関して現段階で関連要因と考えられているものである。今時、大統領機としてツポレフの名があがったことで、同機材に一斉に注目が集まり事故原因かと思われたが、ロシア側整備士の証言にあるように機材に何らかの事故原因があったとは現段階では考えにくい。

 むしろ悪天候も予想されていた中で、目的地空港の設備が安全な着陸には不十分だったことが主な関連要因であると考えられる。その背後には気象情報の連携がタイムリーに行われていたか、またロシアの高度情報(QFE)に高度計やTAWSが適切に対応していたか、等の様々な疑問が浮上する。

 ポーランドのニュースメディアであるPolskie Radio(http://www.thenews.pl)によれば、空港の選定については、ポーランド側の要望によりスモレンスク北空港が目的地空港に設定された。当初ロシアはカティンから250kmに位置するブリヤンスク国際空港を指定した。無線標識施設しかないスモレンスク北空港に比べて、ブリヤンスク空港には視界ゼロでも安全に着陸できる着陸誘導施設が完備されているからだ。

 しかし、事前の協議においてアンジェイ・クレメル外務次官等ポーランド側代表は、「ポーランド一行がカティンにたどりつくことを困難にしようとしている」と述べ、カティンの森に最も近いスモレンスク北空港に到着できるよう、ロシア側を説得した、と伝えられている。カティンへ、少しでも近く、少しでも早く、というポーランド国民の切なる思いが伝わってくる。

 事故で亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げると共に、ようやくたどり着いたロシアとの共同追悼式典という、歴史的和解の機運を損なうことなく、一日も早く事故原因の究明が終了し、ご遺族の心が少しでも安らぐ日が来ることを願っている。


 

伊地知 恵 (いぢち・めぐみ)
元在ハンガリー日本大使館館員


         
Copyright (c) 2008 Japan Aeronautic Association All Rights Reserved
Web版航空と文化 トップへ