日本航空協会のホームへ

   


   
オデッサの風に乗れ (4)
-2007年フリーフライト世界選手権 ウクライナ大会-
金川 茂
2008.01.15
   
   
2連覇なるか

 F1C(エンジン機)の競技はいつも3種目の中で最後に行われる。すでに競技を終えた選手は回収班に回る。団長の私が競技をするので、代わりの選手にチームマネージャー役をお願いする。

 前回チャンピオンは否が応でもプレッシャーがかかってくる。しかしながらこの2年間ずっと今回のウクライナ大会の準備をして来たわけではない。「まぐれでもらったチャンピオンタイトル。連続優勝など絶対にあり得ないから、20年間チャレンジし続けたラジコン模型飛行機の長時間飛行記録にこの機会に挑戦しよう。記録挑戦は今まで挫折の連続だった。世界選手権のチャンピオンで、世界記録を更新した人はいまだかつて世界にいない。今それができるチャンスを自分は持っている。記録挑戦が終わってからでも世界選手権の準備は間に合う」。

 フリーフライト競技以外に、長年続けてきたこのラジコン飛行機の記録挑戦を「1年間」という期間限定で再開した。結果が出ても出なくとも、1年間だけこれに集中する。結果として世界記録は無理だったが、33年間、日本でだれも挑戦せず、記録の更新がなされなかった、ラジコン模型飛行機の陸上機、水上機の日本記録を共に更新する事ができた。さあ、ウクライナ大会に向けて準備を始めなくてはと思ったのは昨年末からだった。1年間、横道に逸れていたのである。

 フリーフライト競技で世界選手権のタイトルを狙う人たちが、全く別のカテゴリーをやる事はまずない。ところが私はそれをやって、昨年1年間は遊んでしまった。間近に迫った世界選手権の準備のピッチを上げなければ間に合わない。そんな焦りがだんだんと出てきて、不覚にも練習で手持ちの機体2機を壊してしまった。強風でガン箱が風にあおられ、あぜ道から田んぼに転げ落ち、蓋に主翼がはさまれて2機も壊してしまった。

 そのうちの1機は2005年の優勝機である。心はかなり動揺したが、幸い秋から作り始めていた新作を急いで仕上げることができた。前回からの使用実績のある機体がたったの1機、飛ばしこんでいない3機を携えての出場である。前回の大会でも壊した機体を修理し、競技をしながら調整をして、最終的には良く飛んでくれてチャンピオンになった。果たして今回もそうなるだろうか・・・


一騎打ち 

 私のF1C競技も、他の種目同様に気流の読みが難しく、私は危うく2つのラウンドを落しそうになったが、「オデッサの風」が私を救ってくれた。うまく風に乗ったのだ。73名の選手で予選を通過したのはわずか26名。これからが勝負だ。決勝飛行(フライオフ)は機体性能の勝負であるから、上昇気流が発生しない夕方遅くなってから行われる。第1回目は午後7時45分から5分MAXで行われ、11名の選手がクリアーした。次の決勝飛行はさらにハードルが高くなり、7分MAXで1時間後の午後8時45分から行われる。まだ充分に明るいが、気温はだんだんと下がってくる。風向きの加減で場所の移動がアナウンスされた。

 各国の100台以上の車が連なって場所移動をする事になったが、雨で柔らかくなった農道で、我々のバスが立ち往生をしてしまった。この時のマイクロバス利用は「凶」と出た。1時間後に競技が始まるが、それに間に合わなければ全てアウト。最悪の場合、大きな荷物を手分けして、1km以上も離れた場所に走って持って行くつもりだった。動かなくなった車をみんなで必死に押してどうにか脱出できた。 


悪路から脱出するため、立ち往生したバスを皆で押す

 日が暮れる直前は風も弱まり上昇気流もないので、純粋に機体性能の勝負となる。この7分MAXをクリアーしたのは11名の選手のうち、前回チャンピオンの私と2001年チャンピオンのウクライナ選手のたった二人だけだった。このウクライナ選手はいわゆるニューリッチ族で、金に糸目をつけず最新鋭の機体を飛ばしており、おそらく現在最も強い選手であろう。地元ウクライナと、ハンディキャップだらけの日本人選手の一騎打ちは翌朝6時に持ち越された。

「悪くても世界2位」。何のプレッシャーも感じない。本来は選手と団長の役割を両立することは非常に難しいが、私はそれをやっている。日本人選手を乗せたバスは早めに宿舎を出てフィールドへと向かったが、我々が到着した時にはウクライナ選手はすでにテスト飛行を終えて、余裕の状態で私が来るのを待っていた。

 本部関係者や計時員、そしてこの決戦を見てみようと早朝にもかかわらず大勢の選手が続々とフィールドに集まってくる。前回チャンピオンと地元ウクライナの威信をかけた決戦だ。ウクライナ選手の周りには、F1B種目で優勝したウクライナチームの選手や、団長をはじめとしてそうそうたるメンバーが集っている。ウクライナ選手は勝たなければならないのだ。そのウクライナに対して、幸運にも勝ち上がった私は、世界の仲間が注目する一騎打ちの場に立っている。急いで準備をしてスタートの合図を待つ。「プー」とラウンド開始の合図が鳴った。


張り詰めた雰囲気の中での一騎打ち

 空気は冷たく風もほとんどない。静寂な時間が過ぎ去っていくが、5分ほど経ったところでウクライナ選手が仕掛けてきた。エンジンをかけ機体を思いっきり空へ向かって投げ上げたがどうも上昇パターンが良くない。明らかなミスと分かる。「これなら勝てるぞ」そう思ってすぐさま愛機のエンジンをかけた。「飛んでくれよ!」。手から離れた機体は、きれいな上昇パターンを描いてピタッと水平飛行に入った。「これで勝った!・・・」


全身の力をこめて投げ上げる

 しかしながら神様はウクライナ選手に救いの手を差し伸べた。幸運にも最初の失敗したフライトはエンジンが5秒以上回っていたという事でアテンプト(やり直し)。「あれがアテンプト?」と首をかしげる観客もたくさんいたと後から聞いたが、彼にはもう1回飛ばせるチャンスが与えられた。予備機を取り出してラウンド終了間際に飛ばした。パターンもきれいに決まった。

 地元ウクライナは全てを知り尽くしているのに対して、遠く日本から来て初めてウクライナのフィールドで飛ばす日本人選手。ホームアドバンテージを享受できたウクライナ選手に軍配があがった。しかし勝ったウクライナ選手には、勝ったという心の底からの笑みはなかった。

・・・  第5回へ続く   ・・・

 

かねがわ しげる
日本模型航空連盟フリーフライト委員会 委員長 

(1) オデッサの風に乗れ(1)
(2) オデッサの風に乗れ(2)
(3) オデッサの風に乗れ(3)


編集人より
金川 茂氏は2007年、「空の日」航空関係者表彰において、航空スポーツ賞(団体賞)を受賞されました。
         
Copyright (c) 2008 Japan Aeronautic Association All Rights Reserved
Web版航空と文化 トップへ