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3年ほど前スイスへの出張の折、チューリッヒのホテルで部屋に置かれていた近郊の地図を何気なく見ていたところ、程良い距離のデューベンドルフに航空博物館があることに気がつきました。スイス空軍の基地に隣接している博物館ということで早速、出かけることにしました。 スイスは永世中立国としてヨーロッパの中心に堅実な地位を確立してるわけですが、決して無防備だったわけではありません。永世中立国としての理念・信念だけではなく、現実論として相手の攻撃意図を喪失させるためには、どの程度の抑止力をも持たなければならないのか? この疑問に回答が得られるのではないかとの期待に胸が躍ります。 チューリッヒ駅から乗車してすぐ”Oerlikon”(エリコン)という駅があります。機関砲メーカーとして有名な会社と同じ名前の駅です。博物館へはチューリッヒ駅から約10分でデューベンドルフ駅、そして徒歩10分で到着です。 この博物館では、隣接する空軍基地の紹介がビデオテープで放映されています。この空軍基地は地理的にヨーロッパの中心に位置するところから、第二次世界大戦中、飛行中に被害・損傷を受け止むを得ず着陸せざると得ない場合、緊急着陸空港として連合軍機・ドイツ軍機双方に着陸が認められていたとのことです。その当時の映像としてアメリカのB-17、ドイツのMe262などの緊急着陸の様子を見ることができます。 入館して最初に目にとまるのが、機関砲メーカー・エリコン社の水平対向液冷50馬力エンジンと並んで展示されているサルムソンR9エンジンでしょう。一見すると星型空冷かなとも思えますがナント、これは液冷なのです。
《機関砲メーカー・エリコンの水平対向エンジン 50馬力》 名機であったところから捧げられた愛称が「猿六村(サルムソン)」です。このエンジンは、カントン・ウネ方式が採用されていることでも空前絶後でしょう。技術的には興味のつきない方式ですが、その後追随するメーカーがなく現在に至っています。 技術とは、着想が良いだけでは先駆者・伝道師とはなれず、地味であっても信頼性・コストあらゆる面で評価されるといった側面があります。機構的には高く評価されるものの消えていく運命にあった一つのシステムとして歴史に残るものの一つでしょう。どのようなシステムであったかについては、本題と離れるので別の機会にしたいと思います。 永世中立国スイスとしての空軍力を、輸入された戦闘機の展示を中心に第二次世界大戦前夜から時系列的に展望してみると次のとおりです。
ヨーロッパで大戦がはじまった1939年以前は、主としてドイツのメッサーシュミットを輸入していましたが、大戦開始直後から4年間、スイスはドイツ占領下にあったフランスのモラーヌ・ソルニエ型機を300機もライセンス生産しました。このバランス感覚はお見事とも言えるのではないでしょうか。 《メッサーシュミット Bf109E》 《ノースアメリカン P-51と使用エンジン パッカード V1650》 《 4発デルタ翼ジェット爆撃機“Aiguillon”(エギュイヨン)》 《サー・フランク・ホィットル(ジェットエンジンの伝道師)のPower Jet社 W2/700》 この博物館の「売り」は初飛行以来70年以上の実績のあるドイツの輸送機、ユンカースJu52での観光飛行が楽しめることです(料金: 40分/170スイスフラン、60分/250スイスフラン)。同時代の輸送機の生産ではDC3に次ぐ4855機、高い信頼性と安全性からヒトラー総統のみならず、国際航空連盟(FAI)会長の専用機としても活躍した名機です。ただし座席が17と制約があるので是非とも予約が必要です。(www.ju-air.com 参照) 《ユンカースJu52》 日本の周辺でも軍事的に何かと騒がしい昨今、独立をまもるための条件を、スイスのスタイルから学ぶことがあるように思います。またこのためにも、国家として航空博物館をきちんと整備する必要があるのではないでしょうか。
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