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 2025年6月 航空遺産写真 今月の1枚
ゲッピンゲン1型グライダーの映像(1936年)

航空遺産継承基金事務局で所有している写真を毎月1枚ピックアップしてご紹介します。 

 今月は、昭和十一(1936)年5月から6月の間に撮影された、グライダー(滑空機)が飛ぶ映像をご紹介します。この「今月の一枚」のコーナーでご紹介する映像資料としては、2024年10月の「戦前のエアショーで飛ぶ一〇式艦上偵察機の動画」(注1)に引き続き、2点目となります。

 今月の資料は、日本のグライダーの映像の中では、最古の部類に属すると思われます。映像は、もともと戦前から活躍した航空ジャーナリストであった故・郡捷氏のご遺族から受贈した映像フィルムを、当協会でデジタルデータ化したものです。上の動画は、グライダーの飛行する部分をそこから更にトリミングしたものです。末尾に、元々の映像のフルバージョンと、その各部分についての説明文を付します。

映像の調査、被写体・撮影場所の特定

 映像を再生すると、新潟飛行場で行われたグライダーのデモンストレーション飛行であることが分かりますが、撮影日時や被写体など、他の情報は一切不明だったため、当協会で調査しました。まず、映っている機体の特徴と、読み取れる登録記号の一部から、機体の特定に成功しました。映っているグライダーは、大阪毎日新聞社がドイツから購入したゲッピンゲン式一型(J-BGOH)(注2)です。グライダーを曳航している飛行機は、これも大阪毎日新聞社の一三式練習機「毎日28号」(J-BGUH)(注3)です。

 「毎日28号」は、昭和十一(1936)年3月から大阪毎日新聞社が運用し、同年8月に墜落している(注4)ことから、撮影時期が絞り込めました。その間のグライダーのイベントを、グライダーの歴史に関する文献から調べたところ、大阪毎日・東京日日新聞社及び日本帆走飛行連盟主催の日本一周曳航飛行の映像と判明しました。

日本一周曳航飛行

 昭和十一(1936)年は、前年から新聞社がグライダーの団体を相次いで創設し、イベントを開催するなど、グライダーが注目を集めた時期でした。とりわけ、昭和十(1935)年に陸軍と大阪毎日が協力してグライダーの本場ドイツよりグライダー教官のヴォルフ・ヒルトらを日本に招き、各地でデモンストレーション飛行や講習、講演会を行ったことは、大きな反響を呼びました。
 このように新聞社が全国的に滑空活動を盛り上げるのは、昭和十年代特有の現象です。日本一周曳航飛行も、この時期のいわば「グライダー熱」に浮かされた中で行われたものです。昭和十一(1936)年の5月7日から6月14日にかけて、松下弁二飛行士と小島純一機関士の乗る一三式練習機が志鶴忠夫飛行士が操縦するゲッピンゲン式一型を曳航し、以下の飛行場に順に立ち寄り、曲技飛行イベントを行いながら全国を巡りました(注5)

日本一周曳航飛行コース

大阪―津(不時着)―名古屋―豊橋―三保―三島―東京―尾島―東京―霞ヶ浦―小名浜―仙台―盛岡―青森―能代―六郷―酒田―新潟―富山―金沢―大阪―広島―福岡―熊本―都城―佐伯―松山―善通寺―大阪

フルバージョンの映像

 以下は、元々の映像のフルバージョンです。
 上の映像の各部分から、以下のことが読み取れます。
00:00〜00:01    冒頭、黒いフィルムへの書き込みが移りこみます。反転していますが、「可燃」「×」「注意」「p-op」と読めます。「可燃」「注意」と書かれている理由は、フィルムが燃えやすく危険だったからでしょう。当時のフィルムは、非常に燃えやすいニトロセルロースでできていました。
00:01〜00:10  映像が始まります。扉が閉ざされた「新潟飛行場格納庫」の前に人がいます。向かって右側から、自転車を傍らに支える人、ハットをかぶった男性2名、コートを着た男性、和装の人、子供がいます。
00:11〜00:14  丘の上に塔が立っていて、何かがはためいています。飛行場の施設でしょうか。塔の下には人がいます。
00:14〜00:17  建物が見えています。右側には、バスの様な大型の車が見切れています。奥には、さきほどの塔が別アングルから写っています。
00:18〜00:21  男が10人写っています。「東京日日新聞」と書かれた法被や帽子をかぶっている人が数名、ネクタイを締めてハットを被った男が2名います。奥には、さきほどの塔が写っています。
00:22〜00:25  奥の飛行機が目を引きます。大阪毎日新聞社の飛行機「毎日28号」です。下翼下面に、登録記号「J-BGUH」のうち「J-」と「H」、および大阪毎日新聞社のマークが見えます。セーラー服を着た女学生のグループ、詰襟の男子学生のグループのほか、奥には和服を着た女性、ハットを被った男性など、飛行の見物に来た人々が写っています。
00:25〜00:27  「毎日28号」の機首が画面いっぱいに移っています。詰襟の男子学生たちが間近に詰め寄って、興味深げに飛行機を眺めています。飛行機の右下翼下面には、登録記号の「J-BDUH」の「B」が写っています。
00:28〜00:34  飛行機がグライダーを曳航して離陸していきます。その様子を群衆が見物しています。自転車に乗って見物に来たと思われる男子学生もいます。
00:42〜01:00  飛行機とグライダーが上昇していきます。それを見上げる見物人も映っています。
01:04〜01:13  グライダーが飛んでいます。曳航機からロープを切り離したあとの様です。連続で宙返りをしています。
01:21〜01:24  飛行するグライダーを見上げる群衆の頭が映っています。先ほどの塔の先端、吹き流しも映っています。
01:24〜01:30  着陸していくグライダーが映っています。
01:31〜01:32  飛行帽をかぶった3人の男が映っています。右から、志鶴忠夫飛行士、松下弁二飛行士、小島純一機関士の3人と思われます(注6)
  航空遺産継承基金では、今後も引き続き所蔵資料の保存・調査・公開に取り組んで参ります。

注1) 日本航空協会〔2024〕(参考5
注2) 河守ら〔2016〕:p.337(参考4
注3) 同上、河守ら〔2016〕:p.219 (参考4
注4) 同上、河守ら〔2016〕:p.219 (参考4
注5) 渡部〔1943〕:p.136(参考1)、川上〔1998〕(参考2)、佐藤〔1999〕(参考3)。乗組員のフルネームは注6)の通り推定した。
注6) フルネームは推定。故・小森郁雄氏の写真アルバム(日本航空協会所蔵)に、各乗組員の顔と名前の分かる写真があり、推定できた。

 参考資料リスト

参考1) 渡部一英 著『滑空日本歴史写真輯』,航空時代社,1943. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1059453p.67(41コマ目)およびp.136(76コマ目)航空図書館でも所蔵
参考2) 川上裕之、1998、『日本昭和航空史 日本のグライダー 1930-45』(航空図書館所蔵):第十二章 志鶴忠夫の年 昭和一一年 日本一周空中列車飛行
参考3) 佐藤博著、木村春夫編、1999、『日本グライダー史』海鳥社(航空図書館所蔵):p.38
参考4) 河守鎮夫、中西正義、藤田俊夫、藤原洋、柳沢光二 編著、2016、『J-BIRD 写真と登録記号で見る戦前の日本民間航空機 ○満洲航空・中華航空などを含む』日本航空協会発行(在庫あり※2025年6月現在
参考5) 日本航空協会、2024、「戦前のエアショーで飛ぶ一〇式艦上偵察機の動画」航空遺産継承基金ギャラリー 今月の1枚https://www.aero.or.jp/isan/kongetsuno-ichimai/kongetsuno-ichimai_2024_10.htm
 上記のほか、本文では直接参照しなかったが、下記の文献にも記述がある。
  清水六之助 著『日本の滑空飛行』,東京開成館1942. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1059450:p.205-206(110〜111コマ目)(航空図書館でも所蔵
  星山一男 著『新聞航空史』,星山一男,1964. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2506910:p.77(45コマ目)(航空図書館でも所蔵

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