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 2024年11月 航空遺産写真 今月の1枚
100年前、摂政宮の霞ヶ浦海軍航空隊行啓

航空遺産継承基金事務局で所有している写真を毎月1枚ピックアップしてご紹介します。 

 

 左側の写真は、今から約100年前、大正十三(1924)年11月28日に行われた当時の摂政宮(後の昭和天皇)の霞ヶ浦航空隊行啓の写真です。右側の写真はその裏面で、「13.11.28」「霞ヶ浦海軍航空隊ページェントに御成の摂政宮殿下」と裏書きがあり、撮影日・場所などが分かります。摂政宮は双眼鏡で飛行船を見ています。手前のロープは、御野立所として設けられたテントを固定するためのものです(後述)。

海軍AT式2号飛行船 

 摂政宮が双眼鏡で見ている飛行船は、「AT式2号飛行船」です。AT式2号飛行船は、スペイン人飛行船設計家トーレ・ケベートが設計し、フランスのニューポール・アストラ飛行船会社が製作したもので、「アストラ航空船」「アストラ・トウレ飛行船」「アストラ式トウレ型飛行船」「アストラ式飛行船」「アストラ・トーレ AT 軟式飛行船」「アストラ『トーレ』(AT)飛行船」の様に呼ばれることもあります。
 海軍は、昭和三(1928)年までは飛行船のことを正式には「航空船」と呼んでおり、アストラ・トウレ飛行船を後に「二号航空船」と命名しました。ここでは、『日本航空機辞典〔上巻〕』参考1)に従い、「AT式2号飛行船」と呼ぶこととします。
 第一次世界大戦では、ドイツ軍が飛行船を偵察や爆撃に使用したり、あるいはイギリス軍が偵察や対潜哨戒に使用しました。そのため、こうした航空先進国に範を取り、日本海軍も飛行船の研究に着手します。まず大正九(1920)年にイギリスに対潜哨戒用の小型飛行船、SS式1号を発注しました。次に大正十(1921)年、海軍はフランスのニューポール・アストラ飛行船会社にAT式2号飛行船を発注しました。
 SS式1号飛行船が沿岸の対潜哨戒の研究のために購入した小型飛行船だった(参考2)のに対し、AT式2号飛行船は、沿岸警備に加え、船団護衛、偵察、艦隊と連携した洋上作戦に投入できる大型軟式飛行船の研究のために購入したものでした(参考3)。
 海軍は大正十(1921)年のAT式2号飛行船の発注に伴い、飛行船の整備・操縦方法の習得のため、翌十一(1922)年まで海軍将兵をフランスに派遣しました。
 フランスから船便で日本に送られたAT式2号飛行船は、当時追浜にあった海軍の飛行船格納庫は別の飛行船のために使用中だったため、陸軍の所沢飛行場にあった飛行船格納庫に間借りして組立てられ、大正十二(1923)年七月に完成、初飛行しました。
 
AT式2号飛行船。撮影地は所沢と思われる。
撮影者は所沢の写真家、喜多川秀男氏か。(参考6
   その後、九月に起こった関東大震災によって水素ガスの供給が途絶えたことと、陸軍の格納庫に「いつまでも邪魔してもいられない」(参考3、5)という事情により、10月には霞ヶ浦に空輸の後しばらく使用不能となりました。
 大正十三(1924)年7月末、海軍はAT式2号飛行船の運用を再開しました(参考2)。その後、10月の特別大演習では長時間飛行を行っています。
 11月28日の摂政宮霞ヶ浦海軍航空隊行啓の際には、航空隊の飛行展示の一環として、AT式2号飛行船が飛行し、飛行船からの落下傘降下が行われました(後述)。
 その後、AT式2号飛行船は兵器搭載量は多いものの、大きすぎて取り扱いが不便で、飛行性能が悪いうえ高価ということで、大正十四(1925)年九月、老朽化に伴い廃船となります。以後、海軍は大型軟式飛行船を運用することはありませんでした(参考2)。

 大正十三(1924)年11月28日の霞ヶ浦

  大正十三(1924)年11月29日は、霞ヶ浦海軍航空隊練習部の卒業式でした。摂政宮台臨にあたり、飛行機と飛行船の地上展示・飛行展示、模擬戦、技術研究所の風洞実験などが行われました。AT式2号飛行船は離陸作業の展示と、空中からの海軍将兵による落下傘降下を行いました(参考5101112)。
 
霞ヶ浦航空隊学生卒業式のページェントで展示される海軍機の写真(日本航空協会所蔵)。
ヴィッカース・バイキング(左から1,2機目)、スーパーマリン・シール(左から3,4機目)、アブロ504(5〜11機目)が並んでいる。
宮原旭氏のアルバムNo.2 page.2 photo.3 (aero.or.jp)で公開済。
   上の写真は宮原旭氏が所有していたアルバムのもので、写真に「Nov.28, 1924. 摂政ノ宮第二回目ノ霞ヶ浦台臨ノ日(卒業式ニ)」との裏書きがあったため、撮影日が判明しました。日本航空協会では、他にも1924年11月に霞ヶ浦で撮影されたと思われる写真を所蔵しています。ただ、霞ヶ浦では11月8日にも航空ページェントが開催されており、アルバムにはこのイベントの写真も混ざっていることから、どちらのイベントを写したのか判別が難しいものがあります。

 摂政宮霞ヶ浦行啓の映画(国立映画アーカイブ)

  同日に霞ヶ浦で撮影された映像を、国立映画アーカイブが所蔵しています。題は「大正十三年十一月二十八日 皇太子殿下行啓ノ光榮ヲ得タル 霞ヶ浦海軍航空隊卒業式及 各種飛行作業台覧ノ実况」(参考13)で、以下のリンクから見ることができます。

大正十三年十一月二十八日 皇太子殿下行啓ノ光榮ヲ得タル 霞ヶ浦海軍航空隊卒業式及 各種飛行作業台覧ノ実况 | フィルムは記録する - 国立映画アーカイブ歴史映像ポータル - (filmisadocument.jp)

 摂政宮は映画中の2分頃、車から降りてテントへと案内されます。当日の様子を記した別の文献から、これは飛行船格納庫前に設けられた「御野立所」と思われます(参考511)。今回ピックアップした写真はここで撮影したものと考えられます。
 AT式2号飛行船は、映画中の3分50秒頃から10分頃まで映っており、準備の後離陸上昇し、8分40秒頃に飛行船からの落下傘降下が行われます。摂政宮がその様子を双眼鏡で見ているシーンもあります。
 航空遺産継承基金では、今後も引き続き所蔵資料の保存・調査・公開に取り組んでいきます。

参考

1) 野沢正解説、1989、『日本航空機辞典〔上巻〕1910年(明治43年)―1945年(昭和20年)』モデルアート社(航空図書館所蔵):p.370「海軍AT式 2号飛行船」
2) 和田秀穂、1944、『海軍航空史話』明治書院(航空図書館所蔵):p.246〜253
3) 日本海軍航空史編纂委員会 編『日本海軍航空史』第1 (用兵篇),時事通信社,1969. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/12014864 (参照 2024-09-24)
4) 牧野光雄、2010、『飛行船の歴史と技術』(航空図書館所蔵
5) 日本航空協会、1956、『日本航空史 明治・大正編航空遺産継承基金アーカイブ:p.556〜p.805(pdf629〜878コマ目)
6) 東京文化財研究所の喜多川コレクションに、この写真のトリミング前のものがある。喜多川コレクションは、所沢の写真館の写真家であった喜多川秀男氏が撮影した写真乾板のコレクションであり、遺族が東京文化財研究所に寄贈した。ガラス乾板は、喜多川氏自身が撮影した写真に加え、陸軍の搭乗員が撮影したものもある。写真は、新しいもの好きだった喜多川氏が陸軍所沢飛行場で撮影したものが多い。東京文化財研究所は、ガラス乾板をスキャンし、公開している。
https://www.tobunken.go.jp/kindai/)写真コード:217
7) 「新造航空船進空式 明廿九日に霞ケ浦から」『東京朝日新聞』夕刊二面1924.7.29
8) 「珍しや航空船 新に購入のアストラ号 けふ霞浦で処女航」『東京朝日新聞』夕刊一面1924.7.30
9) 荒山彰久、2013、『日本の空のパイオニアたち――明治・大正18年間の航空開拓史』早稲田大学出版部(航空図書館所蔵
10) 「摂政宮殿下霞ケ浦行啓 鳥人晴れの卒業式 奉迎のページエント」『東京朝日新聞』 朝刊七面1924.11.24
11) 「再度の台臨に壮快な空中戦 けふ航空隊の卒業式に 摂政宮霞ケ浦へ」『東京朝日新聞』夕刊一面1924.11.28
12) 「模型軍艦は安全に 台覧爆弾投下演習」『東京朝日新聞』朝刊七面1924.11.29
13) 大日本佛ヘ護國團社會部、1924、「大正十三年十一月二十八日 皇太子殿下行啓ノ光榮ヲ得タル 霞ヶ浦海軍航空隊卒業式及 各種飛行作業台覧ノ実况」フィルムは記録する - 国立映画アーカイブ歴史映像ポータル -
14) 郡捷、小森郁雄、内藤一郎編、1960、『日本の航空50年』酣燈社(航空図書館所蔵
15) 田中宏巳著、日本歴史学会編、2010、『山本五十六』吉川弘文館
16) 防衛庁防衛研究所戦史室、1976、『戦史叢書 海軍航空概史』朝雲新聞社(戦史叢書第095巻 海軍航空概史 (mod.go.jp):p.1-29(13〜27コマ目)
17) 松原治吉郎、2023、『陸軍航空の形成――軍事組織と新技術の受容』錦正社(航空図書館所蔵):p.301-324第五章第三節「海軍航空基盤の活用」

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