今月は1911年(明治44年)の2月に飛行した「山田式2号飛行船」の写真をご紹介します。
2月8日の飛行ではトラブルで漂流し、同月23日には修理中のところを強風で吹き飛ばされて破裂してしまった不運な飛行船でした。その顛末が『日本航空史 明治・大正編』(36ページ〜)に紹介されています。以下はその一部抜粋です。
「(前略)船上では誤まつて発動機を一ぺんにとめてしまつたので、巨体は見ているうちに風に押されて、ふらふら漂流しはじめた。そして袖ヶ崎の島津公爵邸の上空にさしかかるとぶら垂げていた索が邸内の老樹にからみついてしまい、飛行船はあだかも同邸の真上に繋留された形で動こうともしなかつた。島津家では時ならぬ珍客に大満悦で、庭の芝生に赤いもうせんを敷いて殿様(忠久氏)はじめ一家中総出で茶菓の催しが開かれる有様――。そこえ自転車を連ねた製作所の人たちが、どかどかと踏み込んで行つたので二度びつくりした殿様やお姫さまは早々に奥へ引つ込んで行つたが、まだ残つて見ている人たちの前で、上を下への大作業がはじまり、ようようのことで索を切り放したのだつた。すると飛行船は再び北へ、北へ流されてとうとう三マイルも先きの青山墓地にさしかかつた。(後略)」
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