解 説 |
三米風洞は1930(昭和5)年に東京帝国大学航空研究所(以下、航空研究所)の風洞部の実験施設として建設された。航空研究所は1918(大正7)年に深川・越中島に設立されたが、1923(大正12)年の関東大震災で被災したために駒場へと移転しており、三米風洞も移転に伴って建設されたものである。名称は吹出口の直径が3メートルであったことに由来する。ドイツのジーメンス・シュッケルト社製630馬力の電動発電機で直流電気を作り、それによりジーメンス・シュッケルト社製500馬力のモーターを駆動させ直径4メートルのプロペラを回転させて最大風速60メートル/秒の風を発生させる単回路式噴流型風洞である。ドイツから招いたフォン・カルマンらの指導を仰ぎながら制作され、完成当時は日本で最先端・最大の風洞実験施設だった。
戦前はもっぱら航空学の研究に使用され、航続距離の世界記録を樹立した航空研究所長距離機(通称:航研機)、非公式ながら航続距離の世界記録を作ったA-26や層流翼の開発などに貢献した。第2次世界大戦後は、日本の航空に関わる活動が一切禁止される中でも奇跡的に破壊を免れ、YS-11などの国産航空機の開発で活用される一方、自動車(乗用車、オートバイ)、鉄道(東海道新幹線、リニアモーターカー)、船舶、建築物(高層ビル、万博パビリオンなど)、スポーツ(スキージャンプ競技)などにも活用され、我が国の産業および文化の発展に貢献した。
1930(昭和5)年以来、21世紀に入っても実験に使用されてきたが、発電機、モーター、制御装置、計測装置(吊線式5分力天秤)や木製の吹出口、吸込口などに創建当時のオリジナリティを多く残している。1号館の建屋自体は三米風洞に先立って1927(昭和2)年に竣工したもので、建設当初のモダンなデザインをよく伝えている。また、デジタル化されてインターネット上に公開されている風洞の図面(建設当時のものを含む約60枚:http://www.fudo.rcast.u-tokyo.ac.jp/)も貴重な資料である。風洞実験の計測結果の資料も国立科学博物館に収蔵されたもの含めて多く残っており、三米風洞の功績を伝えている。
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