所 有 者 |
株式会社立飛ホールディングス |
保管 |
株式会社立飛ホールディングス |
解 説 |
飛行機の性能向上に従って、パイロットの他に航法士や無線通信士、軍用機では爆撃手などの乗員が必要になった。諸外国では既存の輸送機などを練習機に改造・転用したのに対して、日本では1930(昭和5)年頃から数種類の乗員訓練用の練習機を新規に設計・製作した。一式双発高等練習機はそのうちの1機種であり、1940(昭和15)年に陸軍の指示を受けて立川飛行機で多目的双発高等練習機として開発され、1941(昭和16)年に制式採用となった。一式双発高等練習機は性能と実用性が高く評価されたと伝えられ、乗員訓練機のほかに輸送機などとしても使用された。1945(昭和20)年まで生産が続けられたこと、および1342機という日本機としては比較的多数が生産されたことは、本機が重用されたこと示唆している。外国ではあまり見られない乗員訓練用に新規開発された機種であるということ、および多数が生産・使用された機種であることから、一式双発高等練習機は日本の航空史の一面と技術水準を示す機種であると考えられる。
現存する一式双発高等練習機は操縦および航法練習用の甲型となり、操縦席内に残っていた銘板などから製造番号は5541で1942(昭和17)年に製造されたことが判っている(以下、5541号機と呼ぶ)。飛行第38戦隊に所属した同機は、1943(昭和18)年9月27日、秋田県能代飛行場から青森県八戸飛行場へ向かう途中、原因は不明だが十和田湖に着水し水没した。2010(平成22)年水没場所が特定され、2011(平成23)年に青森県航空協会が引き揚げを試みたが機体が湖底から離れず作業はいったん中止された。翌2012(平成24)年に再び機体の引き上げが実施され成功した。
引き上げの過程で胴体2か所が破断し、2基のエンジンが機体から分離した。水深57mの湖底に約70年間水没していたことで、アルミニウム合金および鋼材からなる機体およびエンジンは腐食が進行しており、外板には穴が空いている箇所がある。操舵面に貼られた羽布は失われている。しかし、機体内外には運用時に塗られていた塗色や日の丸の赤色塗装、所属部隊を示すマーク、注意書きなどが残っている。また、引き上げの際に破断し曲がった胴体外板は曲がりが可能な範囲で元の形状に戻され、左翼に装備されていたエンジンはクリーニングおよび新造部品の組込みが行われているが、それ以外の外観の見栄えをよくするための修理や再塗装は行われておらず、オリジナルの状態(真正性)が比較的よく保たれている。
5541号機は、1342機生産された中で現存する3機の内唯一日本に残るものであり、国外に保管される他の2機は胴体のみとなる。乗員訓練用に設計された本機は日本の航空機開発の歴史を今日に伝えるとともに、塗色をはじめとして使用当時の状態を良く保っており文化財的価値も高い。これらのことから本機は極めて貴重な航空遺産といえる。
なお、5541号機は2021年11月に株式会社立飛ホールディングスが青森県航空協会から譲り受けている。 |
機体右前方
操縦席付近
胴体右後方
第2次世界大戦中に撮影された一式双発高等練習機
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