解説 |
本機は1944年7月、川崎航空機工業岐阜工場で製造されたと推測されている。その後、陸軍多摩飛行場(別名:福生飛行場)の陸軍航空審査部飛行実験部に配備された。1945年9月にアメリカ軍に接収され、1953年に日本航空協会に譲渡されるまでアメリカ空軍横田基地に展示されていた。その後は1986年まで、関東以西の日本各地で展示され、屋外で展示されることも多く、部品の紛失、機体の損傷などが生じた。1986年〜2015年は知覧特攻平和会館に屋内展示となり、比較的良い環境で保存されることになった。2015〜2016年に川崎重工業株式会社による文化財的な修復が行われ、2017〜2018年に当協会による羽布の修復が行われた。
三式戦闘機「飛燕」は日本を代表する航空機設計者である土井武夫の代表作であり、日本の航空機開発の当時の到達点と1つと言える。約3,000機が生産されたが、現存、航空機として完全な姿で展示されているのは岐阜かかみがはら航空宇宙博物館の三式戦闘機飛燕2型6117号機(以下、本機)のみである。
1953年に主翼が切断され、失われた部品も少なくないが、2015年〜2018年の調査により、未だに多くの部位でオリジナルの状態を保持していることが確認され、文化財的価値は高い。 |