解 説 |
日本での飛行機による初の動力飛行は、陸海軍により組織され飛行機の研究を進めていた臨時軍用気球研究会により計画された。当時、日本には専用の飛行場が完成していなかったため、陸軍代々木練兵場において1910年(明治43)12月11日から20日までの間に実施された。ドイツから輸入されたハンス・グラーデ1910年型とフランスから輸入されたアンリ・ファルマン1910年型が使用され、それぞれ陸軍の日野熊蔵大尉と徳川好敏大尉が操縦した。12月14日には日野大尉のグラーデ機が飛行に成功し、19日に徳川大尉のファルマン機も飛行に成功した。両機は「構造簡単ニシテ堅牢ナルコト」などの選考基準によって選ばれた飛行機で、1910年11月に日本に輸入された。両機ともエンジン不調などのトラブルに悩まされながらも飛行に成功した。
初飛行時に使用されたプロペラは、グラーデ機は機体と共に輸入されたものであり、一方、ファルマン機は当初使用していたプロペラが地上滑走中に破損したため、海軍技師・奈良原三次が個人で購入していたフランス製グノーム・エンジン用のプロペラの提供を受けたものであった。日本の航空創始期の飛行機のプロペラは大半が木製であったが、初飛行の際のグラーデ機およびファルマン機のプロペラは金属製のシャフトに金属製のブレードが取り付けられたもので、航空創始期に両機以外では日本ではほとんど使用されなかった形態のものである。
国立科学博物館に現存する両プロペラは金属製であり、グラーデ機およびファルマン機が代々木練兵場で飛行した頃に撮影したと思われる写真に写る両機のプロペラとは細部に若干の違いがあるが、ほぼ同一の形態・形状である。プロペラは消耗・破損の可能性が高い部品であり、両機の場合も複数本が国内外から調達された。現存するプロペラはこれらの一本と考えられる。また、1944年に発行された文献(和田秀穂著「海軍航空史話」)には「両大尉の初飛行のとき使った飛行機のプロペラは、今も上野の科学博物館におさめられて栄えある永遠の姿をとどめている」との記述がある。これらのことから、国立科学博物館の各々のプロペラは両機に装備されたと考えられる。
現在の銀色および黒色の塗装は使用当時のものでないと思われるが、大きな腐食や破損は認められず、また改変の痕跡もないことから、製作・使用された当時に近い状態を保持していると考えられる。
ハンス・グラーデ機およびアンリ・ファルマン機の飛行は、日本の航空史における原点ともいうべき出来事である。国立科学博物館の所蔵する両機のプロペラは、その飛行機に装着され初飛行時にも使用された可能性があるプロペラとして貴重な存在である。また、日本の航空創始期のプロペラの現存数も少ないことからも貴重な存在だと判断される。
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