一般財団法人 日本航空協会

航空遺産継承基金 ギャラリー 日本陸軍『航空写真帖』昭和8年5月

256/406枚目  画像ファイル名:Ka-089_p097-4.jpg

【オリジナルキャプション】
大正十一年十月二十六日
東宮裕仁親王殿下気球隊ニ行啓アラセラル


『日本航空史 明治・大正編』(p.641-642、pdf714・715コマ目)に、この裕仁皇太子の行啓の記述がある。
「十月二十六日、東宮殿下には久々で所沢飛行場へおでかけになつた。
 殿下が旅行その他お出ましの日は、大ていいつも好晴にめぐり合い、これも御人徳のしからしむるところであるが、この日ばかりはどういう風の吹きまわしか、雨がやまず、歓迎の飛行もとりやめとなつて冷たい秋雨の朝九時三十分、自動車で航空学校本部へお着きになつた。
 井上航空部本部長、星野航空局長官、中島近衛師団長らお出迎え申し上げ、将校集合室でご休憩の後、有川校長の先導で大格納庫へ自動車で成らせられ、下士兵が小沢中尉指揮で甲式一型機四台を整備する状況をご覧になり、そばでは河井田中尉が発動機の装着や、緩衝ゴムの交換、点火栓の点検などを指揮している。殿下には有川校長にローン式回転発動機について種々御下問があり、松井少佐が各種飛行機材について詳細ご説明申し上げ、殿下は一々うなずかれながら熱心に聞き入れられた。
 次いで客室型全金属製のユンカース式患者輸送機に、和田大尉がご案内すれば翼上に立たれ、客室内の模様や乗員席などを細かにご覧になつて再び将校集合室に入られ、陳列の各種器材、機関銃、無電器、自動操縦装置など、お目新しいものをご覧に入れた後、有川校長から学校の写真帖とプロペラー型の文鎮を献上した。
 このごろからはたして雨はやみ、雲の切れ間からほのぼのした薄日がさして来たので、本部前広場植込みに松樹のお手植をお願い申し上げ、終つて自動車で気球隊へ成らせられ、用意の御昼餐をとられた。
 ご小憩の後、高橋気球隊員の御案内で演習場へお出ましになると米満、山口両中尉が搭乗して自由気球の飛揚準備が開始され、伝書鳩四羽が携行された。
 一方では飯島中尉が落下傘包を背負つて繋留気球に乗り込み、降下姿勢をご満足のいくまで見ていただくため、八〇〇㍍の高度へ上昇して飛び降り、微風に乗つてゆらりゆらり舞ひ下る白い大輪と飯島中尉の降下操作を、殿下にはしばし御興深げに注視された。
 自由気球は飛行場端上空五〇〇㍍で鳩を手放し、風に流されて東京方面へ漂漂と流れていくあとに、四羽の鳩は何か探すように円を描いて忙し気に舞つていたが、やがて方向がきまつたらしく威勢よく一斉に飛び去つていつた。
 午後二時、殿下お帰りの時間間際、F五〇、同六〇型二機が二〇〇㍍の低空にすさまじい爆音をまき散らしながら現われ、お召自動車をまもつて校門附近に達すると、甲式三型五機編隊がお見送りに参加してF型二機とともに田無町へんまでお供をして引返していつた。」
参考:
日本航空協会、1956、『日本航空史 明治・大正編』 航空遺産継承基金アーカイブ



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