一般財団法人 日本航空協会

航空遺産継承基金 ギャラリー 日本陸軍『航空写真帖』昭和8年5月

244/406枚目  画像ファイル名:Ka-089_p093-1.jpg

【オリジナルキャプション】
大正十一年
薩哈嗹派遣軍航空班ノ活動


薩哈嗹(サガレン)派遣軍飛行班関連写真。
右下の写真は、「サガレン派遣のサルムソン式」として、『日本航空史明治大正編』にも掲載されている。
第一次世界大戦中の大正六(1917)年にロシア革命が勃発。翌大正七(1918)年、日本はシベリア出兵を行い、大正九(1920)年に、アムール川の河口から80km地点に位置するニコラエフスク港(尼港)を占領していた。しかし、当時シベリア各地の革命勢力は増強しており、尼港の日本軍は革命勢力と戦闘の結果包囲され敗北し、五月には日本軍の捕虜と居留民が虐殺された。尼港事件である。日本政府は新聞報道で革命勢力の残虐性を宣伝し、サガレン州の主要地点占領を声明した。六月から七月にかけて日本軍はサガレン州派遣軍を以て北樺太を保護占領した。
サガレン州派遣軍では、大正十一(1922)年十月に航空班を編成、当初は乙式一型(サルムソン2A2)が3機の小所帯であったが、後に増強された。航空班は北樺太のルイコフスコエに駐屯し、コルサコフに着陸場、デルビンに不時着陸場を設け、捜索、指揮、連絡、示威等の飛行任務を行った。
参考
小林幸男「尼港事件」『国史大辞典』
竹野学「保障占領下北樺太における日本人の活動 (1920-1925)」『經濟學研究』第62巻第3号、北海道大学大学院経済学研究科、2013年2月、207-224頁(https://hdl.handle.net/2115/52284
日本航空協会、1956、『日本航空史 明治・大正編』 航空遺産継承基金アーカイブ:p.642-687(pdf 715-760ページ目)
防衛庁防衛研修所戦史室、1971、『戦史叢書 陸軍航空の軍備と運用〈1〉――昭和十三年初期まで――』(https://www.nids.mod.go.jp/military_history_search/SoshoView?kanno=052):p.131(81コマ目)


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