驚きのバイコヌール (5)
-2006年スペースモデリング世界選手権バイコヌール大会-

「冬から真夏の繰り返し」

 昨日の夢のような人生最高のバスツアーから一転し、再び世界一を目指す競技会の毎日である。私にとって最大の問題は、最高気温36度を超える真夏にもかかわらず、冬支度の服装しか持ってきていないことである。他の日本選手はどこから情報を知ったのか、Tシャツ姿である。

 幸運はやってくるものだ。主催者から参加者全員に大会記念Tシャツが配布されたのである。幸い私には2枚配布され(参加者用1枚、各国団長1枚)、これで2週間は交互に着ればと安堵したのであった。

 しかし、そうはうまくいかないのがバイコヌールである。夜中にTシャツを水道で洗い、ベランダに出すと早朝には乾いている。手で軽く絞ったジーンズも同様に6時間で乾いてしまう。ここは砂漠の真ん中である、湿度は圧倒的にゼロパーセントに近い。早く乾くのはありがたいが、乾いた洗濯物すべてが白く縞模様が残るのである。

 原因は水道水にあった。ここの砂漠は元は海であった。天山山脈で降った雨がシルダリア川に流れ、同時に砂漠に染みこんだ塩分を吸収してバイコヌールへ来る。この水を水道として取水するのだから、蛇口から出てくるのは塩分を含んだ水である。白い縞模様は塩の固まりだ。仕方がない、手ではたいて塩を落としてから着ていた。

 日が経つにつれ、身体が現地の気候に順応してくると湿度ゼロパーセントに近いことが幸いしてきた。朝は5度の冬、昼36度、夕方10度であるから長袖の冬装備でも暑く感じないのが分かってきた。半袖では日差しが強いため、皮膚を痛めてしまうのである。これはありがたい誤算であった。持ってきた洋服がすべて使用できたのである。

 旅行社のアドバイスは正解ということになるのか。この町は冬には地面が凍るため水道パイプ、暖房用パイプ等はすべて5mほどの高さの空中を通っている。また、雨がほとんど降らないため、家やアパートの周囲に植えてある木に沿って水パイプが設置され、一定時間になると木に水を散水するのである。また、木の根元から1メートル程がすべて幹が白くなっている、これは塩害防止のペンキを塗っているとのことであった。

「アントニオに教えた」

 競技が開始され、25か国の選手が各国に指定された発射台に陣取り、指定時間内に最高の成績を出そうと努力している。私はイタリアチームで選手と団長を兼務している友人のアントニオの所に歩いて行った。もちろんモデルロケットの創始者であるバーン・エステスご夫妻がアメリカチームのメンバーとして、バイコヌールに来ていることを知らせるためである。

 競技開始までは多少の時間がまだあったので、アントニオも発射台の角度調整をしながら、これから打ち上げに使用するロケットを手にしていた。もちろん子供の頃にお父さんに買ってもらったエステス社の段ボールで作られたスターターセットがはいっていたモデルロケット携帯ケースは足下にあった。

 私は大きな声で「アントニオ、Mr.エステスがアメリカチームのメンバーで来ているよ」と彼に言った。するとアントニオはイタリア人特有の大きなジェスチャーで両手を広げ、おもむろに体を曲げて足下に置いてあったエステス社のスターターセットを持ち上げると、満面の笑みを浮かべながら私の目の前でケースの蓋を開けて見せた。開いた蓋の裏側には、私がエステス氏から頂いたと同じ彼のサインが、大きくマジックインクで書かれていた。「to Antonio  Vern Estes, Gleda Estes」と。

 アントニオは私に言った、「いつか私の尊敬するエステス氏にお会いしたかった、しかし、1992年のアメリカ大会にイタリアは参加しなかった。だから永遠に不可能だと思っていた。昨日のツアーの中でエステス氏を見たが、失礼があってはいけないと考え、アメリカチームに確認したらエステス氏だと分かり、ツアーから帰ってすぐにホテルへ訪ねてサインをいただいた。長年の夢が叶った、人生最高だよ」、私と同じ幸せ者がイタリアにも誕生していた。

「宇宙関係記念物が町にあふれている」

 バイコヌール市はロケットの町である。町のメインストリートには、街路樹の横にプロトン、ブラン、ボストーク、ソユーズの写真が並び、アパートの壁面には宇宙飛行士やロケットカプセルの画が飾られている。交差点にはスプートニク1号のオブジェや実機のミサイルが展示され、公園には事故で亡くなった宇宙飛行士や技術者の記念碑が建てられている。さらに別の公園には実機のソユーズロケットが斜度25度で展示されている。

 そして、驚いたのが、我々の止まっているホテルの近くにあるレストランが販売しているアイスクリームのおいしさと、町を歩いている女性のスタイルのよさである。アイスクリームに関しては、東京・赤坂・六本木界隈のアイスクリームをすべて食べ尽くしているTBSの鈴木順氏の舌を基本にしても、これは世界一という味なのである。私の感想としても確かに「うまい」。ただし、外国で評価を下すのは怖い・・・

 「怖い」とは過去スロバキアで起きたことに関係する。私はスロバキアでの世界選手権が終了して帰国する前日、町外れのレストランに入り食事をしながら赤ワインをたのんだ。そのワインが素晴らしく美味しいので、オーナーにお願いして1本購入し、日本へ持ち帰って自宅で飲んだのであるが、味が全く異なり感動を再現することは出来なかった。反省するに、現地の湿度と温度が味に影響していると結論するに至った。今回のアイスクリームも湿度ゼロパーセントに近いこの場所だから味わえるのであって、日本に持ってきたらわからないというのが私の気持ちである。

 また、町を歩いている女性の多くが、日本のモデル「エビちゃん」レベルなのである。この美しさはアイスクリームとは異なり、日本へ来ても溶けて消えさることは無い。しかし、ここに住んでいる彼女らは自分たちの容姿が日本ではとんでもなく高い評価を受けることを知らずに生活しているのである。

「金メダル獲得」

 大会が始まって6日目、昨日までに日本チームはS3パラシュート滞空時間競技、S4ブースト・グライダー滞空時間競技、S1高度競技を戦い、最高位はS4に出場した河原井選手の第6位入賞だった。7種目の内、日本チームは5種目参加するため、残りはS5スケール高度競技とS9ジャイロコプター滞空時間競技である。

 高度競技は風の方向を考慮して出来るだけ鉛直に打ち上げる必要がある。ロケットは風に向かうという性質があるため、発射角度を間違えると、測定する2点からは高度が低く見えてしまうためである。また、滞空時間競技は、定められた時間内に各国3名の選手が打ち上げ、それぞれが指定されたMAXという時間を過ぎてから地上に着地しなければ上位進出はあり得ない。

 例えばMAX300秒といえば発射から5分経過した後に着地すれば、最高点のMAXとなる、またエントリーできる機体は2機のみであるから確実に回収しなければ5回ある最終ラウンドまで行けない。ただし回収は容易ではない、各国3機が上空にあると仮定すれば25か国では75機が上空にあり、その中から自国の3機を回収するのである。風が強ければ着地点は5キロ遠方で、往復10キロを走って戻らなければ、次のラウンドは失格となる。

 ロケットは全長50cm、直径4cm。パラシュートで100m上空にいると極めて小さい。着地点に到着したら他国のロケットを追っていたというのは普通のことである。ましてや着地点が森の中であったならば心臓に良いはずがない。体力と探査能力、チームワーク無くして世界大会は戦えないのである。

 今日は、日本チームにとって前回の反省を実証する日である。選手として参加している日本大学理工学部宇宙航空研究会の先輩が、2004年ポーランド大会のS5競技の際、2段ロケットの上段が全機バランスを崩して水平に飛び、不振な成績で終わっている。これを元に今回はバランスを重視した機体設計を行ってきたのである。

 この競技は一人の選手が2回打ち上げ、高度のより高い上位の成績が採用されると同時に、事前に行われたスタテック審査と呼ばれる、実機設計図面にどれほど忠実にボルト一本まで大きさ・形状、位置が正確に再現されているかが点数で表示され、この点数と打ち上げた高度の合計で勝敗が決まるのである。日本選手は庄子選手が総合で14位、島田選手が18位と暫定では決定していた。

 残るは寺尾選手の打ち上げだけである。現地時間2006年9月25日午後。風速1メートルほど、寺尾選手がセッティングを開始する。すると隣のポーランドチームの団長がやって来て、先ほどのフライトを見ていたがエンジンの延時時間を変更したほうが良いというアドバイスをかけてくれた。火薬の一部を削れというのである。

 しかし、日本では火薬を加工することは火薬類取締法違反となるため、私たちは誰一人として実施したことがないのである。もちろん日本以外の場所では可能であることは理解している。私自身が経済産業省の火薬類取締法研修の講師を何度か担当させていただいているので、余計に加工には敏感なのである。そこでポーランドチームの団長が、実際に目の前でどのように行うのか実演してくれることとなった。他チームの選手から彼に声がかかる「おい、いつから日本チームに入ったんだ」と。

 ポーランドは青少年教育として戦後、一つの町に必ず航空クラブを設置することが義務となり学生は放課後、グライダーやモデルロケット等のスポーツクラブに所属して活動しなければならない、そのため町には飛行場が必ず設置され、優秀な生徒が地区大会から全国大会、世界選手権の選手として選抜される。もちろん遠征費用は国が支払ってくれる。従って、ここへくるまでに膨大な打ち上げ回数を経験してきている。国が主体となってモデルロケット教育を実施しておらず、打ち上げ回数の少ない日本の学生を気の毒に思ったのだろう、的確なアドバイスをいただいてしまった。日本チーム団長として、スポーツ精神の神髄を教えていただいた気持ちである。感謝。

 このアドバイスとともに機体のバランスを再度点検し、ついに寺尾選手が右手を挙げてエントリーした。レンジセーフティ・オフィサーが彼のゼッケンを確認してカウントダウンを開始した。ロシア語で5,4,3,2,1,点火。寺尾選手の右手がコントローラーの発射ボタンを押した瞬間、彼の製作したトマホークロケットは炎を吹きながら真っ直ぐに上昇し、100メートル程の地点で2段目に点火、加速したままバイコヌールの青空に真っすぐ上昇していく、誰が見ても、いままでの選手の中で最高到達高度であることがはっきりと分かる。

 レンジセーフティ・オフィサーから「打ち上げ成功」の声が上がった瞬間、注目していた大勢の各国選手や審査員から祝福の拍手が沸き起こり、アドバイスをくれたポーランドチームの団長が寺尾選手に近寄り、「見事なフライトだ。君がチャンピオンだ」と声をかけてくれた。確かに素晴らしい打ち上げであったが、まだこれから打ち上げる選手が数名いる。彼らの成績次第では、優勝は無い。他国の成績がこれほど気になったことは、過去の大会ではなかった。

 次に打ち上げた選手は2段目の点火に失敗して失格、その次は2段目が斜めに飛び高度が低い。いよいよ最後の選手となった。この時点では3位以内は決定していることが判明した。いよいよ1996年スロベニア大会で愛知県の鈴木隆選手がS3パラシュート滞空時間競技で1時間11分10秒という史上最高の滞空時間で金メダルを獲得して以来となるかも知れない瞬間となった。最後の選手の打ち上げが承認され、カウントダウンが始まった。そして点火、ロケットは美しく上昇し、2段目にも点火した瞬間、衝撃で翼が1枚はずれて方向が斜めとなった。部品が取れれば失格である。この時、寺尾選手の世界チャンピォンは決定したのである。

 しかし、スポーツ競技というのは規定時間以内であれば、他国のクレームを主催者は受け付けることとなっている。日本はポーランドチームのアドバイスを受けていた事実がある。つまり、まだ優勝は決定では無いのである。真の決定とは表彰台の中央に立った時点なのである。大会本部の壁に貼られた成績表を水間氏が確認する。FAI国際航空連盟の担当者が、最終成績を書き込んでいるが現時点では日本の寺尾選手が1位である。

 私は自分に落ち着けと言い聞かせ、時の決定を静かに待つことにした。すると、すぐに沈黙は破られる。FAIのオフィシャルが日本チームのテントに3名やって来た。「S5の世界チャンピォンはどこにいる、表彰式があるから用意するように」私は「優勝は決定か」と聞くと「もちろん」との回答である。「団長か」と聞かれたので「そうだ」と答えると「おめでとう素晴らしいフライトだった。一番美しかった」と言ってくれた。やった、遂に日本に二人目の世界チャンピォンが誕生した。それからは、次々と日本のテントに審査委員や各国の選手が寺尾選手と写真を撮りたい、サインを頼むと訪れてくるようになった。

 夕刻、S5スケール高度競技の表彰式が開始された。私は寺尾選手に対して「真ん中に登る前に両隣の選手と握手して登りなさい」とアドバイスをした。第3位、第2位と名前が呼ばれ「優勝ヤポニア、タクマ テラオ」のアナウンスで寺尾選手が表彰台に進み、両隣の選手と握手をして表彰台中央に登っていった。ここに立てるのは各種目1名である。金メダルが首にかけられ、君が代とともに、バイコヌールのセンターポールに日の丸が揚がった。

表彰台の寺尾選手(中)。左が2位のロシア、右が3位セルビア各選手

 表彰式が終了して全選手がバスに戻り、出発するまでの数分間、私はバスの中で選手たちに話しをさせてもらった。「濱田副団長、水間ヘルパー、鈴木通訳に感謝します。彼らのバックアップなしに競技は出来なかった。選手全員にいいます。君たちは私が出会った中で、最高のチームです。私は君たちに出会えたことに感謝するとともに誇りに思います。もう一度言う、君たちは最高のチームだ。ありがとう。」

 今大会は、開催された場所も運営も素晴らしかったが、一番素晴らしかったのは我が日本選手団であった。競技大会は、参加するすべての選手が力を発揮しなければ成績は残せない、その意味で私は最高の選手とともに戦えたことに感謝するとともに、協力いただいた、日本模型航空連盟、日本航空協会の関係者の皆様に厚く御礼を申し上げる次第です。ありがとうございました。

・・・  了  ・・・

執筆

山田 誠

特定非営利活動法人 日本モデルロケット協会会長

 

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