グライダーの最新事情
航空スポーツ
まえがき
昨年(2020年)亡くなった外山滋比古氏のベストセラー「思考の整理学」には「グライダー人間」と「飛行機人間」が登場する。グライダーは自力で飛ぶことができないので自力で飛ぶことのできる飛行機のような「飛行機人間」にならなければいけないのに学校教育は「グライダー人間」しか作らない、というキャッチーな表現が広く受けいれられてベストセラーになったようだ。これは、グライダーパイロットからすると、いささか誤認がある、もしくは著者が航空機の飛行に関する見識に欠けていると言わざるを得ない。確かにグライダーが飛行するには位置エネルギーが必要であり、最初の位置エネルギーを得るためには他の航空機やウインチに曳航してもらうことが必要なので、「自力で飛び出すことができない」という表現に間違いはない。しかし、グライダー飛行にとって他力によって曳航されている時間は滑空飛行を始める前のわずかな部分でしかなく、曳航から切り離した後に、大気のエネルギーを利用しながらより高く、より遠くまで飛ぶことがグライダー飛行の醍醐味である。このような飛行はソアリング(soaring)と呼ばれており、距離飛行の世界記録は3,000kmを越え、世界選手権では500kmのタスク(課題飛行コース)を3時間余りで周回している(平均速度150km/h以上)。しかし本稿は、「グライダー人間」という言葉尻に目くじらを立てるのが目的ではなく、むしろ、外山氏をはじめとする一般の皆様に広くは知られていないであろうグライダーの最新事情を紹介させていただくこととしたい。
航空界の中での航空スポーツ、グライダーの位置づけ
航空法第一条には「航空機の航行の安全及び航空機の航行に起因する障害の防止を図るための方法を定め、並びに航空機を運航して営む事業の適正かつ合理的な運営を確保して輸送の安全を確保するとともにその利用者の利便の増進を図ること等により、航空の発達を図り、もつて公共の福祉を増進することを目的とする」と書かれている(令和4年<2022年>6月改正前の条文)。航空運送事業や使用事業の適正かつ合理的な運営を確保することが航空法の主な目的である。しかしながら、同じ「空」というリソースを使う「航空スポーツ」に関わっている者としては、「航空の発達を図り、公共の福祉を増進する」ためには本誌のタイトルになっている「航空と文化」のすそ野を広げることが必要であり、航空スポーツの振興は航空法の目的にも適っていると信じる次第である。
日本航空協会傘下の航空スポーツには気球、エクスペリメンタル、模型、パラシューティング、ハングパラ、マイクロライトなどがあるが、グライダーはその中でも飛行機・ヘリコプターと共に航空法上の航空機として位置づけられている。また、リリエンタールまでさかのぼるまでもなく、グライダーの機体や飛行の研究が航空界の発展に大きく寄与してきたことは明らかで、航空スポーツの中でもその「草分け」といえる。グライダーは自然のエネルギーを利用したクリーンなスポーツであるが、一方、同じ空を飛ぶ仲間として、様々な制約の中で節度と協調が必要である。そしてその中で、スポーツとして記録飛行や競技を通じて心と技の向上を追求したり、余暇として価値ある時間を楽しんだりしている訳である(写真1)。
グライダースポーツの歴史と現状
日本で最初にグライダーが作られて飛行したのは1909年のことであるが、第二次世界大戦前には様々なグライダーが製作され、霧ケ峰など日本各地で飛行していた。1940年に開催されることになっていた幻の東京オリンピックではグライダーが競技に加えられ、同一設計により各国で製作された単一機種、オリンピアマイゼ機で競われることが計画されていた*1。
1952年の航空再開後には「平和の翼」として文部省のバックアップや日本航空協会によるグライダー飛行の復活、推進が図られた。日本滑空協会がまとめた2019年の滑空統計によると、全国32カ所の滑空場・飛行場でグライダー飛行活動があり、年間発航回数は約52,000回であった。クラブに所属して飛行を楽しんでいるグライダーパイロットは約3,000人(内学生が約800人)。大学OB/OGなどの経験者はその数十倍と推定される。グライダーは体力に頼らない生涯スポーツであるが、航空機であるため操縦するには国家資格である操縦士技能証明を取得し航空身体検査に合格する必要がある。
グライダーの飛行と利用する自然エネルギー
グライダーで長時間、長距離をソアリングするためには、「上昇気流により高度を獲得し、その高度を基に滑空飛行して距離に変え、次の上昇気流で失った高度を獲得‥‥」という飛行を続けるか、後述の地理的条件により連続的に発生している上昇気流の中を飛行する。グライダーが使う上昇気流には、次のような種類があり、すべては大気の動き、元をたどれば太陽の熱に由来する自然エネルギーを使って飛行する。
●サーマル(熱上昇風)
もっとも広く使われている上昇気流。日射により地面が暖められると接している空気の温度が上がって軽くなり、その浮力により空気の塊が大気中を上昇して行く。グライダーは上昇する空気塊の中を旋回することにより、上昇気流の中で高度を獲得できる。上昇力は球皮の無い熱気球と呼ばれるほど強力で、時には2,000~3,000mの高さにまで達することがある。条件に恵まれると、サーマルを渡り歩くことにより数100kmの距離を飛ぶことが可能である(図1)。
●コンバージェンス
2つの空気の塊がぶつかる(気流が収束する)ことによりその境目に発生する上昇気流。前線に沿って発生するほか、地形的な条件により発生することが知られている。気圧配置や風向風速などの気象条件に大きく依存している。
●斜面・リッジ
山脈の向きに対して直角方向に風が吹く時に山脈の風上側に沿って発生する上昇気流。山頂と同じくらいの高度を旋回することなく長距離飛行することが可能になる。グライダー発達の初期から使用されてきたが、ヨーロッパアルプスや米国のアパラチア山脈では数100~1,000km超の飛行が記録されている。
●マウンテンウェーブ(山岳波または単にウェーブ)
山脈の向きに対して直角方向に風が吹く場合に山頂を超える風が脈動することにより風下に発生する上昇気流。山の高さの3倍程度まで上昇することができるので、北アルプスや奥羽山脈のウェーブを利用して高高度を高速で飛行した記録が数多く作られている。飛行距離の世界記録は南アメリカ、アンデス山脈の強力なウェーブを使って達成されている。
グライダーで距離飛行をしようとするパイロットは、気象条件や地形に合った上昇気流を選ぶ。それは1種類のこともあるし、1回の飛行で2種類以上を使うこともある。気象条件とその変化、地形、上昇気流が無くなった場合の場外着陸場、日没時間までに帰投するための飛行計画、機体の性能を最大限に発揮するためのセッティングなど、追求して行くと奥が深い。
滑空記章、記録、競技会
グライダーパイロットにとって技量の進歩や記録達成のステップの証明として特に大事にしているのが滑空記章(バッジ)である。これは、日本だけでなく各国で同じような制度があり、カモメマークのバッジはグライダーパイロットの共通言語となっている(写真2)。初めて単独(ソロ)飛行をしたときに認定されるA章から始まり、B、C、銅章までが日本滑空記章であり、日本滑空協会が発行する。さらに上位の銀章、金章、ダイヤモンド章は全世界で統一された基準の国際滑空記章であり、日本航空協会がFAI(国際航空連盟)の正会員の資格で発行する(表1)。
表1 日本滑空記章と国際滑空記章
日本滑空記章 | 国際滑空記章 | |
発行者 | 日本滑空協会が発行 | FAI 正会員の資格に基づき日本航空協会が発行 |
準拠規程 | 日本滑空記章規程 | FAI Sporting Code Section 3 (SC3) |
種類 | A 章:単独飛行試験 B 章:旋回飛行試験 C 章:滑翔試験(30 分) 急旋回飛行試験 銅章:滑翔試験(2 時間) 野外着陸試験 | 銀章:滞空時間5時間 獲得高度1,000m 距離飛行50km 金章:獲得高度3,000m 距離飛行300km ダイヤモンド距離章(距離飛行500km) ダイヤモンド目的地章(目的地飛行300km) ダイヤモンド高度章(獲得高度5,000m) 3 ダイヤモンド章(上記3 章の獲得) |
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グライダーの記録として現在認められているのは、高度、飛行距離、速度である。かつては滞空時間も記録の対象であったが、現在は廃止されている。日本人が海外で達成した飛行も日本記録として認められている。日本国内で達成された記録はアジア大陸記録としても認定されることがあり、2015年に齋藤岳志氏が達成した奥羽山脈のウェーブを利用した758.8kmの飛行距離は一例である(表2)。
表2 グライダーの日本記録・世界記録の抜粋*2
日本記録 (達成場所) | 世界記録 (達成場所) | |
獲得高度 | 8,839m (米国) | 12,894m (米国) |
自由三旋回点距離 | 1,803km (アルゼンチン) | 3,009km (アルゼンチン) |
三旋回点距離(15m 級) | 758.8km (角田滑空場)† | 2,193.1km (アルゼンチン) |
速度記録(100km 三角) | 176.64km/h (オーストラリア) | 289.4km/h (アルゼンチン) |
速度記録(500km 往復) | 189.49km/h (板倉滑空場) | 306.8km/h (アルゼンチン) |
†アジア大陸記録
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グライダーの世界選手権(WGC:World Gliding Championship)は2年に一度6つのクラスでそれぞれ約2週間にわたって開催され、200~500kmのタスクを周回する速度が競われる。2017年のオーストラリア大会と2018年のポーランド大会とで2回準優勝した市川展氏が現在までの日本最高位であるが、是非、優勝者が出ることを願っている。
グライダー最新事情
このような飛行を可能にしてきたのは、グライダー自体とその装備、周辺技術の進歩である。以下、その一端をご紹介したい。
●グライダーの進歩
(材料)
歴史的には、木製機、鋼管羽布張り機、金属機などが活躍し、現役の機体も多いが、最新の高性能グライダーは全てプラスチック製である。グラスファイバーで強化されたFRPや、さらにカーボンファイバーやケブラーなどが使用されている。これにより、細く長い高アスペクト比の片持ち翼で空力的に最適設計された翼型を理想的に実現できるようになった。グライダーの滑空性能を示す滑空比(L/D、1kmの高度で何km飛べるかという比率)は最高70にも達している。
(構造)
高性能機は離着陸用の脚による抵抗を減らすため、飛行中は胴体内に手動で収納する「引込脚」が標準である。
主翼の後縁にはフラップが装備されているが、飛行機のように離着陸時に使用するだけではなく、サーマル中の低速旋回時とサーマル間を飛ぶ高速滑空時とで翼型を変えてより高性能を追求することが主目的である。翼の空気抵抗(誘導抗力)を減少させるため、最新の旅客機と同様に翼端にウイングレットが装備されている物もある。また、高速域での滑空性能を良くするためには重量の重い方が有利であるため、翼内に水バラストを搭載できるようになっている。上昇気流が弱くなった時や着陸前には水を放出する。
(補助動力)
エンジンによってプロペラを回して自力で発航できるようにしたモーターグライダー(動力滑空機)はグライダーの一形態である。エンジンを使用して飛行する航行型モーターグライダーの中には軽飛行機以上の巡航速度や航続距離を持つものもある。一方、グライダーとしての滑空飛行を目的とした設計でありながら、小型のエンジンを胴体後部に格納できる型式(リトラクタブル)のモーターグライダーがある(写真3)。
その中にも、地上でエンジンを展開して自力発航可能なセルフローンチタイプと、曳航で発航した後に上空でエンジンを展開して補助的に使用するサステナータイプとがある。これにより意図しない場外着陸のリスクが大幅に低減されるので、日本のように不時着場に制約のあるところでは活用が進んでいる。また、電動モーターを動力として使用する開発が進んでいて、バッテリーの高性能化により電動モーターグライダーの実用化も近づいている。
●装備の進歩
(無線装備)
航空機として運用するためにVHF無線機を搭載し、管制機関と交信ができるようにしている。さらに、飛行する空域・高度によってはトランスポンダを装備した機体も増えている。以前はエンジンの無いグライダーは飛行中の電源供給の問題があったが、日本航空協会が諸機関と交渉した結果バッテリーからの給電でも無線機を装備することが認められた。これにより、航空交通管制区・管制圏を含む広い空域を自由に飛べるようになった。ウェーブ中では旅客機が巡行するFL200(20,000フィート)以上を管制機関と交信しながら飛行することもある。
(酸素供給装置)
与圧装置のないグライダーで高高度を飛ぶためには、酸素ボンベを積んでパイロットが酸素供給を受けられるようにする必要がある。EDS(Electronic Pulse Demand Oxygen System)により、呼吸(吸気)を検出して必要なときに必要な量の酸素をパルス状に供給することができるようになった。これにより従来のフロー式のシステムと比べて酸素使用量が大幅に低減され、グライダーに搭載できるサイズの酸素ボンベでも、ウェーブを使って超長距離飛行をすることが可能になった。航空法規では3,000m以上の飛行で酸素を使用することが規定されているが、パイロットのパフォーマンスを維持するためにより低い高度から酸素を使用することが推奨されてきている。
(GPS とデータロガー)
カーナビやRNAVに広く使われているGPSはグライダーの飛行にも活用されていて、大げさに言えば記録飛行や競技会を一変させた。GPSと気圧高度計を内蔵したデータロガー(Flight Recorder)により、標準化されたファイル形式で緯度・経度・高度情報と時刻が記録されるので、飛行後に経路を確認して記録飛行や競技飛行を証明できるようになり、これにより自動記録式高度計や地上旋回点の写真撮影が不要になった。ダッシュボードに取り付けられた計器や機内に持ち込める携帯機器の画面に地図と現在位置が表示されるムービングマップが広く使われていて、飛行中の機位や空域が正確に確認できるため、地文航法も容易になった(写真4)。
更に、飛行中のグライダー同士が位置情報を無線でやり取りできるFLARMは海外では空中衝突防止に広く使われており、日本でも電波法関連の課題を解決して導入したいと考えている。
また、各パイロットがフライトデータをアップロードしてお互いの記録を比較することができるオンラインコンテスト(OLC)が常設され、他のパイロットのデータを見て参考にしたり、その日のフライトを点数化したランキングを競ったりすることも楽しみになった*3。
●気象予報の進歩
長距離・長時間のソアリング飛行を楽しむためには気象予報が大変重要である。大気の状態を数値モデル化して高解像度シミュレーションすることにより、かなり正確な上昇気流予報ができるようになった。既にいくつかのモデルが日本でも使用可能になっており、この中には、サーマル、コンバージェンス、ウェーブの予報もカバーされている。前日までにソアリング気象予報が入手できるようになったので、より精度の高いソアリング計画を立てられるようになっている。
●フライトシミュレータ
2006年ごろからパソコン上でグライダーの飛行を疑似的に楽しむことができるグライダーフライトシミュレータが市販され、最近ではシミュレータパイロットが増加している(写真5)。
新型コロナ禍で実フライトができなくなった状況で特に盛んになった。一人でフライトを楽しむだけでなく、設定されたタスクを大勢のパイロットで同時に飛行して順位を競うオンライン競技会も開催されている。また、初心者のトレーニングに活用しよう、という動きも出て来ている。
日本滑空協会*4
日本滑空協会はグライダーとモーターグライダーに関する国内統括団体であり、1971年に法人化された創立50周年を迎える公益社団法人である。日本航空協会傘下でFAIのグライダー委員会(IGC)に関する委任を受けている。グライダー愛好者を対象とした施策を行うとともに、空の仲間である航空スポーツ諸団体と連携している。「安全」と「楽しさ」を目標として、次のような活動を行っている:
・安全に関する啓蒙活動、各滑空団体や国土交通省航空局などの諸機関と連携した情報共有と、航空安全講習会(学科・実技)の開催
・「空」という共用リソースを使わせてもらうために、グライダー界を代表した各種調整、働きかけ
・グライダースポーツの達成目標である日本滑空記章の発行・管理
・各種競技会の後援と海外選手権への選手派遣
・操縦士技能証明を取得できる自家用操縦士指定養成施設の管理・運営
・自然エネルギーを利用したクリーンなスポーツであるグライダーを啓蒙する情報発信としての機関誌(JSA Information)発行やホームページ開設
日本滑空協会としては、参加するスポーツ・楽しめるスポーツとして、グライダー愛好者の拡大をこれからも進めていきたい。そのために、航空事故の撲滅、飛行場所・機材の拡充、人材育成などに一層注力する所存である。
おわりに
グライダー飛行中は自然のエネルギーをどうやって得るかを常に考え続け、飛ぶこと自体が飛行の目的であり楽しみである。グライダーパイロットは自ら情報を収集し、クリーンな自然エネルギーを捉まえて使うことのできる「飛行機人間」であることを理解していただければ幸いである。
参考文献
*1 佐藤博著 木村春夫編「日本グライダー史」(海鳥社)
*2 www.aero.or.jp/sports/council/japanese-record/gliders/
*3 www.onlinecontest.org/olc-3.0/gliding/index.html
*4 www.japan-soaring.or.jp