オデッサの風に乗れ (2)
-2007年フリーフライト世界選手権 ウクライナ大会-
航空スポーツ
開会式風景
競技開始
最初の競技はF1A(グライダー)だが、ここでとんでもないハプニングが起きてしまった。前日のチームマネージャーミーティングで、不覚にも説明を聞き逃していた重要な事があったのだ。「明日のF1A種目は南風を予想。発航地点は2番」。この説明を聞き逃し、1番、2番の2ヶ所のフィールドがあることがブリテンには書かれていたが、団長の私は読み落としていた。今までの世界選手権では2ヶ所もフィールドがあることはなかった。全くの想定外である。
競技前日の練習日にフィールドに出かけたが、そういえば競技前日でありながら会場の設営がほとんどなされていなかった。これで明日の競技はできるのかな?と不安に思っていたのは事実である。実はその練習場所とは違う別の場所がF1Aの競技会場であったが、かなりの数の選手が集まって練習していたので、まさかこれ以外にフィールドがあるなどとは思ってもみなかった。
競技開始1時間半前になってもあまり選手が集まっていない。カナダチームも同じ場所にいたが同様に不安げである。「どうして他国の選手が集まらないのだろう? どうして本部が設営してないのだろうか?」。そうこうしているうちに主催者側が車で飛んできた。「ここじゃあない。発航地点は向こうのフィールドだ。昨日のミーティングで言っただろう!」日本チームが集まっていない事を心配した主催者が飛んできたのだ。
どんな理由で遅刻しようとも、決められた時間になると競技はスタートする。全員が集まらなかったとしても待ってはくれない。「みんな大急ぎで車に乗って。急いで!急いで!」団長のミスで第1ラウンドの記録がゼロとなれば前代未聞の大失態になる。大急ぎでスタート地点に到着した時はラウンド開始の45分前。どうにか間に合った。「落ち着いて行こう。大丈夫」選手にも自分にも言い聞かすように、あせる気持ちを鎮めるのに精一杯であった。兼務の通訳としては失格かもしれないが、英語を話すカナダチームも日本と同様に間違った場所に集まったのだから、団長の英語力不足も許容範囲かもしれないと変に納得してしまった。
競技開始の合図は予定通り7時に鳴った。本部の設営は非常に簡素なもので、小さなテントとスタート合図用の大きなスピーカー、それに成績表の掲示板だけである。大掛りな本部をイメージしてだけに拍子抜けである。屋外の大会ではおなじみのトイレは500名の人たちに対してたったの2個。しかも地面に穴を掘り、板で囲っただけの簡単なもの。こんな世界選手権は今までなかった。実におおらかと言うか、やはり貧しい国であることは確かである。ウクライナの一面を見たような気がした。
天候に翻弄された
詳しい競技のレポートは省略するが、トピックス的なことを紹介してみたいと思う。まず天候。今回ほど天候、特に「風」で悩まされた大会も珍しく、予備日が設定してあったためかろうじて競技スケジュールを消化できたが、一時はどうなることかと主催者側は気を揉んだはずである。
競技の後半では風も収まり、オデッサ出発日は最高の気象条件であった。もう少し日程がずれていれば最高の条件で全ての競技が出来たかもしれないが、これも自然が相手のフリーフライト競技であるから仕方ない。こんな強風下での練習は日本ではスペースの関係でできない。驚きもせず競技をやってしまうヨーロッパ勢に比べ、しり込みをしてしまう日本勢は、やはり競技成績にも如実に現れた。ここでも日本はハンディキャップを持っていることになる。
折からの低気圧通過で競技2日目の夜から天気は下り坂となった。ヨーロッパの悪天候はスケールもデッカイ。夜通し鳴り響く雷鳴と雨。浅い眠りで4時に起床してみるとなんと停電。窓から見る町全体が真っ暗である。暗い中で出発の準備をしなくてはならないが、水も出なければトイレも使えない。不安がよぎった。「バスはちゃんと5時に来てくれるだろうか?」 幸い仲間が日本から持ってきた携帯電話が使え、主催者側に連絡すると、隣町のメイン宿舎は停電ではないし、競技開始は予定通り行うとのこと。かなり不利である。心配していたバスはちゃんと予定時刻に迎えに来てくれた。
こんなことも大会期間中にあった。強い風のためラウンドを途中で打ち切ったために自由時間が出来た。この間に洗濯をしたり食料品などの買出しをしたり、メイン宿舎へ行ってインターネットで情報を日本に送る作業などをしていた。フィールドで練習をしていた外国選手もいたらしいが、天候が急変し、小さな竜巻が発生したそうである。練習のために機体を広げていた選手も、空が急に暗くなったので片付けようとしたら、突然の突風と雷、雨、そして雹も降ってきたとのこと。近くにキャンプ村があり、そこにも選手がテント生活をしていたが壊滅的な状況。本部のスピーカーなども壊れてしまった。幸い人には被害がなかったようだが、「愛機」を壊された選手も何人かいたと後で聞いた。
機体回収
日本に比べれば途方もないほど広いフィールドである。軍の演習地を利用し、さらにその周辺に広大な麦畑が続いている。その全部がフィールドである。広さ的には不自由はないはずだが、強風下では、機体はたったの3分間飛行するだけで風下に3~4kmも流されからこの広さでも充分とは言えない。ここで困難を極めた機体回収劇にも是非触れておかなければならない。
飛行機が選手の手から離れると、種目によっても違うが、約70メートルから150mの高度まで上昇し、それから水平飛行へ移り、大きく旋回しながら風下へと流れていく。無線操縦の飛行機ではないから風まかせである。上空は地上よりさらに風が強い。競技ルールでは風速9m以上の風が吹いた場合には競技は中断されるが、今回は6~8mくらいの風がコンスタントに吹いた。風下側に待機している仲間の選手が機体を回収してくれるが、中間地点、後方と役割を決めて、飛ばした機体を双眼鏡で追跡しながら、トランシーバーで連絡をとって上空の豆粒のように小さくなった機体を追う。
同時に20機くらいが上昇気流に乗って飛んでいるため、間違うと機体を見失う。3分間飛んだ飛行機はタイマーが作動してゆっくりと地上に降りてくるが、着地点は3~4kmも離れている。回収班は機体に取り付けたビーコンと呼ばれる発信装置や、双眼鏡で確認した着地地点を頼りに機体回収に向かうが、そう簡単には草むらに着地した機体は見つけられない。
機体の回収も競技の一部と考えられ、非常に重要である。機体回収が出来なければ予備機を飛ばさなければならない。本来、選手は出発地で待っていれば仲間が飛行機を持ってきてくれるのだが、サポーターの人数が少ないことと、風が強いため回収が困難となる。機体を2km以上もある中間地点まで走って取りに行った。
これを7回もやったわけである。マラソン競技と違って舗装道路を走るわけではない。膝まであるデコボコの草地を、競技をしながら1日で30kmも走るのだから、クロスカントリー競技そのもので、その過酷な状況は容易に想像できると思う。もちろん、身体的能力もさることながら、ハイテクな機体の設計、製作を一人で行う総合能力を競う競技でもある。
主催者側が回収用に有料で貸し出してくれた日本製中古スクーターも全く使い物にならなかった。こんなもので草地を走れるわけがない。そんな状況を知らない日本や中国チームは予約をしていたが、ヨーロッパ勢は状況を知っているのでどのチームも借りていない。おまけにポンコツですぐに故障して使い物にならなかった。
ここでも我々は情報が不足していたのである。欧米のチームはレンタカーを使って後方まで機体を回収に行き、実にうまくやっている。我々はマイクロバスだからこのようなことはできない。マイクロバス利用で「凶」と感じたのはこの時である。
後述するが、この車による回収が大問題を引き起こし、前代未聞の、あわや世界選手権中止かと思わせる事件へと発展するのである。機体回収などのことも考えて、多くのサポーター送り込んだ国はやはり有利であるが、今回最大の24名の選手団を送り込んだフリーフライト強国の一つアメリカは、皮肉にも成績は振るわず、個人、団体で一度も表彰台に立てなかった。
・・・ 第3回へ続く ・・・