飛行艇パイロットの回想
-横浜から南太平洋へ- (10) 赤道直下の不時着

1. 宝物の電蓄

 昭和17年6月ごろといえば帝国陸海軍の攻勢止むことを知らず、東南アジア方面に深く進行していた。大日本航空の海軍徴用航空輸送隊となった海洋部は裏南洋をはじめ東南アジア方面の輸送飛行が多くなり、猫の手も借りたいほどの忙しい毎日となった。トランクひとつぶらさげて、今日はシンガポール、明日はスラバヤと浮き雲のような日々を過ごしていた。

 1日も早く横浜に帰り、通信士の親戚が経営している箱根の塔ノ沢温泉でVIP扱いで綺麗な和服の仲居さんのお酌でわさびの効いた刺身でもってチビリチビリとやりながら、のんびりとストレス解消といきたいものだ。やたらと内地の温泉が恋しくなってきたときに、スラバヤ~マカッサル(セレベス)~アンボン(ニューギニアの西端)~パラオ・サイパン~横浜という待ちに待ったフライトの指令が飛び込んできた。9月下旬で、鈴木機長と操縦士越田、前田航空士、深沢他1名の機関士、武藤他1名の通信士、計7名の乗員は、飛び上がらんばかりに喜んで早速内地へのお土産さがしに酷暑のスラバヤの繁華街へとすっ飛んだ。

 私は高級な黒塗りのシックなカラーのRCAのラジオがレコードプレヤーと一対になって、スパーダイナミックの素晴らしい音質を備えたオールウエーブが聞けるオーディオセットに目をつけた。このラジオが店先で惚れぼれとする音声でコンチネンタル・タンゴを流しているのを聞いた瞬間、バニャバニャ・バグス(最上等品)を他人に買われてはたまるものかと放送中にもかかわらず、直ぐレコードを外し手荷物用の箱詰めに梱包してもらい、ペェジャ(自転車の前に2人乗りの椅子がついている人力車)を呼びよせ、両膝の上に宝物でも運ぶ格好で「ラッカス ラッカス」(早く早く)とホテルの我が部屋に運びこんだ。

 気がつくと体中汗ビッショリ、内地では竹針に変わっていた時代だったからレコード針と数枚のクラシック ミュージックのレコードまでチャッカリ買い占めていたのには、われながら天晴れな早業だった。ホテルの私室で、先ずはゴクッと冷えたビールを飲みくだし喉元を潤したときは微笑が止まらないくらいにご機嫌だった。自分の宝物になった所有物をどうしてももう一度拝見したい衝動にかられ、丁寧に箱の中からとりだしレコードを差し込んでスイッチを入れ素晴らしい音色が部屋一杯に流れでるメロディーに聞き惚れ、しばしシャワーを浴びるのも忘れていた。

 戦時中、内地の一般家庭では手巻きのポータブル蓄音機が当たり前で、それでも上等のほうだった。電蓄なんてもってかえったら、とんでもない贅沢者で非国民と罵られるかなぁとチョット心配になってきた。カフェーやフルーツパーラー、喫茶店などで営業用の大きな箱型の電蓄がボン、ボンと低音だけがやけに強く響いていたが、電蓄はすごいなぁと聞き入っていた時代だった。高音・低音自由自在の超スーパ・ダイナミックのシャープな音声を女性達は無論、野郎どもにも聴かせたらきっとビックリするぞと、一人ニンマリしながら包装し直したときには真夜中だった。寝食を忘れるほどの嬉しさで、どうも熟睡ができなかった。海外旅行でこんなご経験はありませんか?

2. 間一髪の不時着水

 翌朝、早速飛行艇に自分の重要手荷物として手元に大事に積みこんだ。ジャワ島スラバヤ港を後にしてセレベス島南端のマカッサルで駐在員の歓迎を受け、4日目は横浜だぞと、もっぱら内地の話に花が咲いた。駐在員には内地に待っている奥さんや子供さん達へチョコレートを頼まれ、元気な様子を家族に知らせることを約束して有頂天で次のアンボンへ飛びたった。

 途中天候が急変した。雲がだんだん低くたれこめていく。やむなく低空飛行に移ってしばらく飛行していると、なんと右前方に2隻の潜水艦の潜望鏡が見えるではないか。「あれっ、2時の方向に敵潜水艦発見!」当時は、海軍の飛行規程により飛行中の情報報告が義務づけられていた。「よしっ、上空まで飛んで敵か味方か確かめよう」上空に近づくと潜望鏡が引っこんでしまった。「やっぱり敵さんかぁ、完全に潜ってしまったぞ。仕方ない、進路にもどるぞっ」旋回しながら予定の航路へ変針し離れると、「おい、また潜望鏡をだしたぞっ」てっきり敵潜水艦に間違いないと決めつけ、あまり近づかないように適当な距離をおいて観察することにした。双眼鏡で確かめていた通信士と機関士が、どうもクジラが潮をふきあげているらしいという。

 真上から覗いてみると案の定、潜望鏡を引き込めた。海面を凝視していると、やはりオス,メスの一対と思われる2頭の大鯨が水面に浮きあがり悠々と泳いでいるではないか。クジラにとっては、せっかくゆったりと自由に夫婦で散歩しているのに人間どもにブンブンと騒々しい爆音で邪魔されまったく迷惑千万な話である。騒音問題で訴えてやるぞといいたいところだろう。

 しかしクジラはさすがに大物、悠々自適の態である。とんだところで道草を食ったものだ。さぁアンボンへ急ごうというわけで前田航空士に進路を尋ねた。
 「いやどうもクジラのために3回くらいグルグル廻ったので、現在位置がハッキリしない。5分くらい余裕をください」つれない返事である。しかし空中で5分間止まっていることもできない。とりあえず東進しようと勝手に85°に進路を定めた。鈴木機長が不安顔で話しだした。

 「前田くんは海軍退役前に、航空性神経衰弱になったことがあり、兵曹長(准士官)で海軍を満期になっているんだ。進路上の天候も悪化してきているし、高度を下げて水面すれすれに飛行しようと思っている。しかし、現在位置がつかめなければ航路上の島に激突する恐れがある。今の内に越田くん、チョット前田くんの様子をみてきてくれんか?」

 前田さんは立派な鼻ひげが印象的な好紳士である。急いで前方の視界の広い航空士席にいってみると、驚いたことに前田さんが脊をピーンと伸ばして正座し目をつむっているではないか。「前田さん、前田さん、どうですか、大丈夫ですか?」軽く肩を叩くと目を開き、私の顔を見てニッコッと笑いながら手慣れた手つきで定規を動かしはじめた。「うん、もう大丈夫だ。ちょっと頭のなかを整理していたのだ。ヘディング(方位)82°で飛んでくれ」「よっしゃ」操縦席にとって返したが、今度は雨が激しく風防を叩き無気味に前方視界が遮られて、かなり悪い。やむなく海上150mの超低空飛行となった。

 「機長、アンボン一帯は豪雨ときどき小雨、視界不良とのことです。付近に台風になる可能性のある強い熱帯性低気圧が発生して目下発達中、風雨が強くなる予報」通信士からの大声の連絡がはいった。「冗談じゃないよ。なぜ出発のときに気象屋さんが注意してくれなかったのだ」 いまさら悔やんでみても、時すでに遅しである。「あと1時間以内で目的地だぞ。湾の奥までの飛行は無理だ。なんとかしてセラム島アンボン湾内の入り口で着水して、あとは水上滑走して奥にあるアンボン基地へ向かう方が安全だ」

 機長は腹をくくった。まずセラム島を見付けることが先決だという訳で、必死で低空飛行している私を除く全員で前方左右の見張りをやっていた。「あっ、急旋回しろっ」機長が叫ぶと同時に前方がボーと暗くなったのでチラッと見ると、目の前はジャングル「あっ、山だ!旋回じゃ間に合わない。不時着水するぞっ」超低空からの不時着水だった。

 とっさの機転で着水滑走距離を最短にするために四発エンジンを一度にカット、フラップを出しながらの不時着水となった。「ドドーン」とショックを感じて荒波に強引に着水した。物凄い大きな岩が大波のしぶきをうけて前方を塞いでいる。「おい、目の前に大きな岩があるぞっ!」「大丈夫です。なんとか停まります」神にも祈る思いである。やつと水上旋回可能な速度に減速できたときには目の前の大きな岩が白波を受けて待ち構えているではないか。<よしっ、やっと水上で旋回できそうな速度になってきた>、と直感がはたらきプロペラが空回りしているうちにスイッチをオンにした。

 幸いに「ブルッブルッ」とエンジンが始動を始めた。右外側の四番エンジンだけをふかしながらなんとか左旋回して窮地を脱したものの、緊張のあまりしばらくは両膝がガタガタ震えて止まらなかった。「ここは多分セラム島の南海岸だよ。海岸沿いに進むと右にアンボンの湾の入り口が見えてくるはずだ」そうあってもらいたいものだ。しばらく水上滑走すると案の定右側に展開した海岸線が見えたので何も疑うことなく右回りで湾内にはいったつもりでこんどは船舶に早変わり、すこしづつゆるい右旋回の長い水上滑走が続いた。乗員達はようやく落ち着きを取り戻していた。

 「それにしても飛行艇だから命拾い出来たんだ。越田くんもなかなかやるじゃないか。水上滑走だと館山から横浜くらいの距離で30分以上かかるかなぁ、まぁ生きているのだから、のんびり水上滑走で行くか」ようやく余裕がでて冗談もとびだした。私はすっかり株があがりいいきになっていたが、両膝の震えはいつの間にか止まっていた。しかし、初めての体験であり内心は一生懸命で脇の下には冷や汗が流れていた。

 水上滑走をしていると美しい白浜が右に見えてきた。素晴らしい南国の楽園のようだ。しばらくするといよいよアンボン基地に辿りつくぞというわけで、滑走をつづけた。天候も少し快復してきたが、楽観したのもつかの間、行けども行けども湾がつきないしアンボンらしい家屋が一向に現れてこない。それどころか、機首が完全に360°一回転してしまっている。先程、みとれていた楽園にみえた白浜の海岸が再び現れてきた。「なんだこりゃ、島違いだ。島ったぞ、これが本当のシマッタだ。いくらたっても島をどうどう巡りだよ」
 しかし冗談をいっている場合じゃない。「仕方がない。アンボン湾のだいぶ手前らしい。もう一度、離水しなけりゃアンボンへはいけないようだ」悲痛な機長の叫び声だった。

 「機長、命が助かったのは奇跡としかいいようがありません。それに海上では通信設定が不可能で目的地の気象がつかめない。もし天候が回復してなければ、それこそ危険です。今の洋上のうねりは台風の影響で波が高く、九七式大艇の離水ができる状態ではありません。もし離水ができたとしても、天候が回復してなければ燃量不足になるし飛行すること自体も危険です。明朝、晴れてから、現在位置を確認して、アンボンへ向かう方が安全で確実だと思うのですが」

 九死に一生をえた私は,もうこれ以上の危険はご免だった。全員が私の意見に同調している。しかし、運航責任者の機長は再び飛び上がりたいらしい。「天候が悪ければ直ぐ降りるよ。高いうねりだから、自分が操縦してギリギリのことをやると中止しにくい場合があって事故になる可能性がある。だから離水は越田くん、君がやってみてくれ。もし波のうねりで離水が無理な場合は君の判断ですぐ中止していいぞっ」

 機長として、なかなかこんな考えは浮かばない。危険な時こそ機長は自分でやろうとするのがむしろ当然だ。操縦士の私を信用している鈴木機長の度胸のある判断に敬服し同時に責任を感じた。「わかりました。やってみます」慎重に風に正対、離水しようとエンジンを加速したとき機関士もレバーを前に押しながら耳元でささやいた。「絶対、無理をするなよっ」

 加速され、いよいよ離水しようとしたとき軽いポーポイズ運動(イルカの跳躍に似ている動きなので、こう呼ぶ)が始まった。この振幅が大きくなると機体が大破することもある。<こりゃいかん、断念だっ>、思いきってエンジンを絞り、離水を中止した。機首は上下運動の余韻を残しながら停止した。

 「やっぱり駄目か。よし砂浜に係留しよう。潮の流れを考えて珊瑚で艇底を傷つけないように気をつけてくれ。それから錨がきくタイミングが重要だから前田くんは俺が合図したときに錨を投下してくれ。越田くんはできるだけスローで砂浜へ直進してくれ」機長の指示で綺麗な白浜の海岸に錨を下ろし停留した途端、数隻のカヌーがわれわれ目がけてまっしぐらに突進してきた。

3. 酋長の歓待酋長の歓待

 「おい、カヌーの速さからしてニューギニア付近の島や山に大勢住んでいるという人喰い人種じゃないか」客室から報道班員が真っ青な顔をして操縦席に飛び込んできたがすでに万事休すである。とにかく通じるかどうかわからんが、打つ手はペジャラ・マラユ(マレー語でしゃべること)のみだ。そう簡単に信用するわけにはいかない。「ドアは内側から完全にロックしろ」操縦席の窓だけを開けて報道班員に通訳させたところ、彼の顔が急にニコニコしだした。「みんな上陸してこい、歓迎すると酋長がいっている。早くドアを開けてカヌーに乗りましょう」

 しかし、すぐさま信じていいものだろうか。懲りない疑い深いのが乗員集団だ。「待てよ、上陸したが最後、捕らえられるかも知れんぞ」皆が顔を見合わせている。「もし風でもでて飛行艇が流されたら一大事だ。先ずオレと機関士のワンペアが居残って、飛行艇を見守っているから、君たちから先にいったらどうだ」さすがに年の功の機長は、降りたくないのだから、うまいことをいう。結局、機長と機関士の二人が残って残り全員が上陸することになった。腰が引けている哀れなわれわれは、数人ずつに分かれてカヌーに乗りこんだ。

 酋長の小屋に案内されてビックリしたのは、大きな岩のような石に子供が描いたような簡単な顔が線画だけで刻まれているお地蔵さんが祀ってある。丸木でできているテーブルの上に茶碗、お皿までが並べられ、数羽の焼き鳥がいい匂いを放ちながら置いてあった。まず飲み物としてだされた、椰子のお茶というドロドロして何ともいえない香りのするものがだされた。これを飲んだが最後、体中がしびれてしまうのではないかと心配したが、何しろ喉が渇いてカラカラ、誰かトライしてみてくれとお互いに顔を見合わせた。酋長は、こちらの気持を察してかおいしそうにガブッと飲み干したのを見て、疑い深い面々も舐めるように少しずつ飲み始めた。それから焼き鳥のつまみ食いをしているうちにすっかり心も和み、親しみがわいてきた。

 落ち着いてくると、飛行艇に残してきた先輩のお年寄りが哀れに思えてきた。
酋長からの歓待を感謝しながら、疑うことしかしなかったわれわれは食べるほどに笑顔がもどってきた。「日の丸はわれわれの味方だ、よく訪ねてきてくれた」酋長の言葉に苦笑い。わざわざ訪問したわけでもないのだが、どうも勘違いしているらしい。「今夜は島にちょうど婚礼の宴があるから、島民の踊りをご披露しましょう。客人をおもてなしするのに好都合の夜になるでしょう」「バニャバニャ テレマカシー(大変ありがとう)」キョロキョロしているわれわれの疑いの眼(まなこ)もお構いなしである。俗界の汚れをまったく知らない島民のまことに丁重なもてなしを受けることになった。

 外はすっかり暗くなり、松明をかかげた島民たちがポッポッ集まって大きな輪をつくりだし、大声を出しながら日本の盆踊りに使用するような高台を作っている様子である。ターザンの映画では、踊り狂ったあと人間をバベキューにして食べるのが人喰い人種の筋書きになっている。その様子をみながら少々心細くなってきた。酋長がやおら側によってきて囁いた。「飛行艇が停泊している沖合で、夜が更けると2日おきくらいにアメリカの潜水艦が浮上してこの島を偵察しているようだ。今夜はこないでほしいものだ。マァ、島民全体で盛大に祈りを捧げるから多分、大丈夫だよ、ガッハッハハ」いうほどには心配そうな顔をしていない。南国土人特有の楽観主義なのか、もともと戦争など知らないお人好しなのか、大きな口を開けて笑っている。

4. 翼上での訪吟

 われわれがなかなか帰ってこないので、「やっぱり歓迎を受けて好い思いをしながら楽しんでいるに違いない。」というわけで、大丈夫と判断した居残りの組のオジンたちが2人だけの寂しい海上が我慢できずにカヌーを呼んでやってきた。「おい、交代しよう」「なぁんだ、アメ公の潜水艦のお相手をしろっていうのか?」やっと人間のバーベキューにならず、これから宴たけなわになろうとしているときなのだ。それに酋長の潜水艦の話を聞いた以上、乗客として乗っていた海軍将校や例の報道班員、他の乗員たちも飛行艇に戻ろうとする者がいない。

 私と深沢機関士とペアだったから、仕方なく渋々とカヌーに乗りこんだ。後ろ髪を引かれる思いとはこのことか。まるで屠殺場へ引かれていく哀れな牛のようだった。艇内に入ると、例の私のお宝電蓄が、「おい、待っていたぞっ」とでもいっているようだった。<よしよし、どうしてもこ奴を内地の我が家に持ち帰って聴くまでは、絶対に死んでたまるかっ>。思いなおしてスラバヤで買ってきたブランディーと非常用航空食を翼上にもちだし、やけくそになって2人で一杯やりだした。

 天候は回復して空には南十字星がまたたき、そよ風が優しく微笑み、大艇は「チャボン チャボン」と赤道直下の波に揺られて心地良さそうだ。アルコールが入ると共に、いつしかいい気分になってきた。酋長の祈りを期待して、とぐろを巻いてグイグイやりながら覚えたての黒田節、ドドイツ、さのさ節、軍歌等々、アメ公の潜水艦の兵隊さんが聞いたら拍手を送ってくれるくらいの大声で色気なしの翼上で手当たり次第思い出した歌をがなり立てていた。東京音頭がでたころが最高潮・・・早く日本に帰りたい、内地が恋しい・・・。「おーい」「おーい」 誰かが呼んでいる声で、内地の料亭で綺麗どころを交えてモテモテの宴でご機嫌な夢が無惨にも打ち砕かれて現実に戻された。
 
 「われわれを囲んで松明がぐるぐる回る真ん中で、とても寝るわけにはいかんよ。疲れた。交代してくれ。」「ウグッ、もう御免だよ」ややロレツが回らない巻き舌で返事をしたか、しないか、そのまま「ヌグゥーグウー」とおおいびきの白河夜船となった。ふと目を覚ますと赤道直下の夜明けだった。東の空にちぎれ雲が浮かんで今日の天気の素晴らしさを物語っていた。水平線の彼方から顔をだした真っ赤に燃えている巨大な太陽が翼上を紅に染めていた。元気溌剌だ。早速出発準備万端ととのえて離水。大きく何回も翼を振って白砂浜に集まって手を振ってくれた島の人たちに感謝を示し、一路アンボンへ飛びたった。高度があがるとともに、通信が設定された。「無事でよかった。待っている。アンボン基地快晴、視界良好」と司令からの激励文がはいった。次々に飛びこんでくる電文を武藤通信士がうけとって教えてくれる。

 和気あいあいのうちにアンボン基地に無事到着、指揮官に昨日の飛行状況を詳しく報告した。そして島民への謝礼をできるだけ早く届けてもらうように、海軍司令部への連絡を依頼することを忘れなかった。「実は昨日は激しい嵐が発生していたので、生憎飛んでいた索敵機2機と大日航のDC-3型輸送機が山に激突してしまったのだ。あんたたちも通信が絶えたので駄目かと覚悟していたよ。本当にご苦労さんだった。よかった、よかった」司令自らの強い握手で迎えられて感無量だった。満足感と反省がいっぱいのおもいで、椰子の葉揺れている海岸に沿って点々と並んでいる宿舎へと向かった。

執筆

越田 利成

元大日本航空パイロット、元日本航空パイロット

LATEST

CATEGORY