西暦 |
元号 |
年 譜 |
1856 |
安政3 |
田中舘稲蔵、キセの長男として岩手県福岡(現・二戸市)に生まれる |
1861 |
文久元 |
母キセから文字の手習い、伯父小保内定身より和漢の書を学ぶ |
1864 |
元治元 |
実用流師範下斗米軍七の門に入門、書は欠端武薫から学ぶ |
1869 |
明治2 |
盛岡藩校作人館修文所で和漢を学ぶ |
1872 |
明治5 |
一家あげて東京に移る、慶応義塾へ入学して英語を学ぶ |
1876 |
明治9 |
東京開成学校入学 |
1878 |
明治11 |
東京大学理学部入学 |
1880 |
明治13 |
メンデンホールの指導の下で、東京や富士山の重力測定 |
1882 |
明治13 |
東京大学理学部卒業、準助教授
理学部学生を率いて、鹿児島、沖縄の重力測定 |
1883 |
明治13 |
東京大学助教授 |
1888 |
明治21 |
英国グラスゴー大学留学 |
1890 |
明治23 |
ベルリン大学に転学 |
1891 |
明治24 |
帰朝、帝国大学理科大学教授、理学博士、濃尾大地震調査で梶尾谷大断層発見、この年より全国の地磁気測量(夏季4年間) |
1898 |
明治31 |
万国測地学協会総会出席 |
1902 |
明治35 |
勲4等旭日小綬章受章 |
1904 |
明治37 |
日露戦争、陸軍の気球の研究に従事 |
1906 |
明治39 |
帝国学士院会員 |
1907 |
明治40 |
万国度量衡会議常置委員となり同総会出席 |
1909 |
明治42 |
臨時軍用気球研究会委員 |
1910 |
明治43 |
航空事業視察のため欧州へ出張、所沢飛行場建設 |
1914 |
大正3 |
文部省測地学委員会委員長 |
1915 |
大正4 |
貴族院有志に航空機の発達及び研究状況を講演『航空機講話』を発行 |
1916 |
大正5 |
在職25年祝賀会、同日辞表提出、勲1等瑞宝章受章 |
1917 |
大正6 |
依願免本官、東京帝国大学名誉教授、万国度量衡会議出席 |
1918 |
大正7 |
国際学術研究会議のため欧州各国へ出張 |
1919 |
大正8 |
国際学術研究会議、地磁気・空中電気国際会議出席、後者の会長となる |
1920 |
大正9 |
東京帝国大学航空研究所嘱託、陸軍省航空機調査研究嘱託、外務省より航空条約事務嘱託、国際連盟協会会議、万国度量衡委員会議、万国学術研究会議出席 |
1921 |
大正10 |
小石川区雑司ヶ谷町へ転居、日本ローマ字会創立、欧米航空事業調査 |
1923 |
大正12 |
万国度量衡常置委員会議及び物理学会出席 |
1924 |
大正13 |
測地学・地球物理学国際会議出席 |
1925 |
大正14 |
文部省学術研究会議副議長、万国度量衡常置委員会出席、貴族院議員 |
1926 |
大正15 |
震災予防評議会評議員、太平洋学術会議副会長、国際航空委員会議、国際連盟知的協力委員会出席 |
1927 |
昭和2 |
国際航空委員会、測地学・地球物理学国際会議、度量衡会議総会出席 |
1928 |
昭和3 |
フランス政府からレジオン・ドヌール勲章を贈られる、国際連盟知的協力委員会出席 |
1929 |
昭和4 |
万国度量衡会議、国際航空連盟会議、国際気象学会出席 |
1930 |
昭和5 |
国際連盟知的協力委員会、測地学・地球物理学国際会議出席、ローマ字調査会委員 |
1931 |
昭和6 |
万国度量衡常置委員を辞し同名誉委員となる、言語学国際会議出席 |
1932 |
昭和7 |
貴族院議員再選、国際連盟知的協力委員会、国際航空委員会、音声学会出席 |
1933 |
昭和8 |
御講書始めに「航空発達史の概要」を御進講、測地学・地球物理学国際会議出席 |
1935 |
昭和10 |
天文学会、国際音声学会、議員会議、気象学会、国際航空連盟会議出席 |
1938 |
昭和13 |
随筆・論文集『葛の根』発刊、航空機技術委員会委員 |
1939 |
昭和14 |
貴族院議員3選、中央航空研究所施設委員会委員 |
1940 |
昭和15 |
帝国学士院第2部部長 |
1944 |
昭和19 |
文化勲章受章、朝日新聞社朝日賞受賞 |
1945 |
昭和20 |
福岡町に疎開 |
1948 |
昭和23 |
自著『時は移る』を発行(ローマ字、漢字かな書き併記) |
1950 |
昭和25 |
日本物理学会名誉会員 |
1951 |
昭和26 |
福岡町名誉町民 |
1952 |
昭和27 |
東京経堂の自宅で永眠、勲1等旭日大綬章を授与される
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