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憧れのニュージーランドを飛ぶ
(2)


古谷 眞之助
2011.10.15
   
   
       
         
     5. 憧れのオマラマ ウェーブを飛ぶ
 その1 ホテル火災
 
 今回の旅の本当の目的は、個人的にはオマラマでのグライダー飛行にあった。そして、この旅を計画する段階で私は、もしかすると身体的にもう飛べなくなるかも知れない状況にあった。その結論は1ヶ月もすれば出る。となれば、その前に是非オマラマに行きたい。行って絶対にウェーブを飛びたいと心底思った。医者からも、まぁ、いいでしょう、とお墨付きをもらえた。何かに急き立てられるように旅行を決め、行き先をニュージーランドに決めたのは、そのような理由による。旅行社に無理を言って10月15日、16日の2日をフリータイムにしてもらった。本当は最低3日を確保したかったが、そうすると旅行料金が跳ね上がるとのことで断念した。何せ、グライダーが絡んでくるとどうも今まで天候には恵まれたためしがないのである。少しでもチャンスを増やしたかった。事前情報では、10月からグライダーシーズンに入ったばかりとか。となると、ウェーブは無理だろうか……。2日間では心許ないが、これ以上家内に無理も言えない。
 オマラマへはクイーンズタウンから入るのが便利だ。フリータイムだから足もホテルも自分で確保しなければならない。ホテルは事前にオマラマのグライド・オマラマのオフィスとコンタクトを取ってすぐ近くに確保してもらった。肝心の足の方は、レンタカー会社はどこにでもあるだろうとタカをくくっていた。しかし、現地入りして日本人ガイドに確認すると、ここではすべて店じまいが早いから、少なくとも前々日には頼んでおいた方が安心ということだったので、結局クライストチャーチのエイビスで仮手続きをしてもらった。これが実は良かった。借りる前日、つまりミルフォード・サウンドからホテルに帰りついたのは午後4時半過ぎで、念のためエイビス事務所を確認しておこうと思って尋ねてみたら、すでに4時半に閉まった後だった。オープンは朝8時からと分かった。できることなら前日に借りておきたかったが、無駄な費用もかかるし、8時オープンなら、手続きして車を借り、ホテルで荷物を積み込んでも9時には出発できるだろう、と目論んだ。そして翌日、その通りにできた。オマラマに到着したのは11時過ぎだった。ちょうど2時間のドライブである。念のためGPSも借りたが、道に迷うようなことはなかった。
 軽い昼食を取って、グライド・オマラマのオフィスに顔を出す。ここからはともかく英語オンリーだ。気合を入れる。名前を告げると「待っていたよ、よく来た、親分のギャビンはすぐ来るから少し待っていてくれ」と言われた。ほどなく身長180センチはあろうかと思われる髭面のGavin Willsが顔を出して握手する。事前情報では彼はグライダーだけで飛行時間6,000時間、その他を加えれば10,000時間以上のパイロット。私がフルタニシンノスケだ、言いにくいだろうから、シンと呼んでくれていい、そんな話から入る。オフィスの横には1995年の世界選手権時にブリーフィングに使われた広い部屋、その横にギャビンの仕事部屋があり、2階は通常のブリーフィングルームになっている。そこで彼と話す。彼の話では「今日は天気が良く、風もなくて大気が安定し過ぎている、クロスカントリーには向かないが、午後3時以降には良くなるかも知れない」とのこと。「了解した。3時に家内と出直して来る、天候如何にかかわらず二人とも飛びたいので機体を準備していて欲しい、家内は30分程度の体験飛行、私はできれば最低でも1時間は飛びたい。ところで、時間があるのでホテルでくつろぎたいから、今からチェックインが可能かホテルと交渉して欲しい」と一気に言った。ギャビンが電話をかけてくれ、OKになったよ、との返事をもらって、See you later。
 モーテルに毛の生えたようなCountry Time Resort で荷物を広げ、まずお茶を飲む。フライトまで3時間近くあるのでシャワーを浴びてさっぱりし、少しスケッチすることにした。家内はずっと本を読んでいる。準備してテラスに出ると、このホテルではある会社の社員研修の真っ最中だった。広いテラスのテーブルのあちこちにいくつかのグループに分かれて何か討議している。聞くとはなしに聞いていると、どうも、自分たちの能力を如何に高めて、かつチームワークを確保するか、部下の育成はどうするか、などについてのグループ討議のようだ。模造紙にマジックペンで役割分担や解決すべきテーマや問題点を書き込んでいる。もちろん、それらは各自が書き込んだポストイットをベースにしているのだから、これはもう我々日本人が嫌というほどやらされているQC活動、あるいは改善活動そのものではないか……。すでにリタイアした身としては、ただただ、ご苦労様と言ってやりたくなる。
 このテラスからは滑空場が目の前に見えた。というか、目の前のフェンスの向こうは、もうそこが芝生の滑走路なのだ。その背後遠くには、まだ雪を冠った山並みが見える。右手にグライド・オマラマのオフィスとグライダーが2機にセスナ172も1機。これらを取り込んで一枚描いてみよう。テラスのベンチに陣取ってしばらく頑張り、一応描き上げたのだが、部屋に帰ってから家内に見せると「ちょっと、グライダーが大き過ぎない?」と痛いところを突かれてしまった。素人は子供のように無邪気で、かつ容赦ない。

   
     

   
     日本人らしく3時キッチリにオフィスに顔を出した。ギャビンから提案があると言われた。「今から飛ぶが、条件は余り良くない、だからダブルトウ(2機同時曳航)でマジック・マウンテンまで曳航して滞空を狙ってみるつもりだが、どうだ?」「もちろん結構だ。ダブルトウというのは聞いたことはあるが経験はない。ここでは普通なのか?」と言うと、「ダブルトウは特別な場合だけだ。今日はケイコと私、シンとフィリップのペアで乗るからな。明日は、たぶん風が出てきて、うまくすればウェーブが出るかもしれない」とのことだが、明日は明日、今日は今日である。もしかして飛べなくなるかも知れないから、とにもかくにも飛ぶことにした。ダブルトウについては、気心の知れたギャビンとフィリップだからこそ、だろう。因みにフィリップ(Philip Plane)は飛行時間2,000時間、DG1000の共同オーナーでオマラマグライダークラブの教官も勤めている。
 滑走路に出てみると、ピカピカのデュオ・ディスカスが並んでいる。正式にはコンテストナンバーQQがデュオ・ディスカスXLで2009年製、DDは2006年製でディスカスXとなっている。家内ケイコはグライダー初体験にして、教官フィーを含まないで1時間レンタル料220ドルのグライド・オマラマの最新鋭にして最高級機に乗ることになった。日本の学生が知ったらおったまげるだろう。私もパラシュートをつけて乗り込む。ダブルトウの先行機が私、追従機が家内という配置で、おそらく先行機のロープが40メートル、追従機はその倍くらいだろうか。
   
     
これがダブルトウ。後続のQQ から家内が撮影
   
   
マジック山上空で旋回する家内のQQ

   
     ランウェイ11にセットされた機体がするすると動き出す。離陸15時23分。あらかじめフィリップには上空でしか I have(操縦桿を取ること)はしないと言っておいた。何せこの機体には過去たった一度、しかも15分しか経験がないのである。当分はお手並み拝見で行くしかない。
 離陸してゆっくり左旋回し、西北西約18kmにある標高5,299フィートのマジック山を目指す。この風であればここを目指すのがベストなのだろう。リリースしたのはこの山の山頂付近だったから5,300フィート、オマラマの標高は1,400フィートなのでざっと1,200m引っ張り上げてもらったことになる。かなりの高度だ。尾根すれすれに飛ぶ。とてもじゃないが慣れぬ機体の操縦桿を取る気にはなれない。フィリップも苦労しているようだ。昇降計がプラス8ノット(毎秒約4mの速度で上昇していることを示す)を示したかと思うと、一気にマイナス10を示したりする。機体は荒れた気流に翻弄される。ふと右手に家内の乗ったQQが見える。家内は音を上げていないだろうか、心配になる。時々ギャビンは無線でフィリップに何か指示しているらしいが、とてもこちらには聞き取る余裕が無い。残念ながら、この日はマジック山はマジックを見せてくれず、帰還することになった。それならばと、フィリップに少し総縦桿を握らせてくれと言う。オマラマまでの直線飛行だ。この日ケイコのQQが47分で着陸、私のDDが16時20分に着陸した。気がつけば約1時間の飛行である。これで2人の料金合わせて……、野暮なことは言わず、明日に期待しよう。
   
   

   
     着陸後ギャビンが再度「明日は良さそうだ、特に午後からは風が出る予報が出ているが、念のため10時からブリーフィングをやろう、いいな」「もちろん」と言って分かれた。考えてみればこの前に飛んだのが8月14日、2ヶ月のブランクとデュオ・ディスカスという不慣れかつ高級機、しかも右も左も分からない初めてのオマラマの地形、確かに疲れた。家内は初めてグライダーを体験したわけだが、彼女に感想を聞いてみると、「グライダーって、ああいうものなの」「ジェットコースターほどでもないわね」と言われてしまった。絶句するしかなかった。
 飛行機のことのみ記す、と言いながら、その夜の出来事は敢えて書いておくべきだろう。2人で歩いて食事に出たのが18時過ぎ、20時前にはホテルに帰ってシャワーを浴びると、多分運転の疲れ、フライトの緊張もあって早くに寝付いてしまった。ところが、24時少し前、ホテルの火災報知器が激しく鳴り響いて目が覚めた。誰かが部屋のドアをガンガン叩いている。ホテルのスタッフが「Fire!!!! Exit!!!」と叫んでいる。幸いこの部屋は一階で、すぐ前は広い滑空場である。火の気も煙も全く無い。仕方なく荷物をまとめて部屋を出て玄関に行くと「Room number 127?」と家内は消防隊員から聞かれたらしい。イエス、127と言うと走り去ったとか。玄関には消防車が3台到着していたが、放水している様子は無い。研修中だった社員たちが大勢集まってワイングラス片手にわいわい言っている。昼間少しだけ挨拶した人を見かけたので、これは訓練か?と聞くと、彼にも正確な事態は分からないらしく、例の調子で肩を上げ両手を広げるしぐさをした。結局、30分間、何の説明もなく、やがて皆がぞろぞろと部屋に戻り始めたので、フロントのお兄ちゃんを見つけて、問題ないか?と聞くと、OKだ! 何があったんだと聞いても、分からない、という返事しか返ってこない。たぶん誰かの悪戯か報知器の誤作動だろう。しかし、これまで外泊時にこんなことにあったことは一度もないから、最初はビックリした。そして部屋に戻って改めて火事の時に荷物を片付けるなんて、と反省させられたし、これが高層ホテルだったらと思うとぞっとしたのである。
 
   
         その2 ウェーブフライト
 
  翌16日、7時に目覚めて朝食をゆっくり摂った。外を見れば今日も素晴らしく晴れ上がっている。風もない。どうなるのか、ウェーブはまたも駄目か。10時にオフィスに顔を出し、気象スタッフからパソコン画面で気圧配置や風向風速情報、今後の見通しの説明を受ける。図表があるのでほぼ理解できた。そして午後からは300度方向からの風が強くなると言う。となると風は山脈にほぼ直角に当たることになる。これはいけるか?!そしてまたギャビンから提案。「ともかく午後まで待つしかない、お昼前にもう1人グライダーパイロットがやってくる。彼が着いたらもう一度簡単なブリーフィングをやろう、その時に少しオマラマのプレゼもするから。それと今日シンは俺と一緒に飛ぶ、いいな」「了解だ、ただ遅くとも午後4時までには着陸したいと考えている。今日、クイーンズタウンまで帰らねばならないから」
  時間があるので、1995年の世界選手権の覇者Ray Lynskyのトロフィーを写真に撮ったり、大きなミーティングルームの地図でマウント・クックまでの距離を測ってみたりした。マウント・クックまではここから直線でおよそ100kmである。思っていた以上に近いと感じた。庭に出て見慣れぬ鳥をおっかけてみたりする。家内は今日は飛ばずに離陸を見送ったら、車の中で寝るつもりのようだ。
 そのもう1人は12時半頃にやってきた。そのためウェザーブリーフィングなしでいきなりプレゼから入った。オマラマの歴史、オマラマの優位点、滑空場の長さ、格納庫の広さ、などについて。その他の話題として、ニュージーランドのラグビーチーム、オールブラックスのキャプテン、リッチー・マコウ(?名前は聞き間違いかも知れない)はオマラマの出身で、両親は現在もオマラマ在住、彼は時々帰省してはグライダーに乗っているそうである。こちらからもいくつか質問してみた。
 
 Q1.  ミンデンで何度か飛んだが、昨日、ここの山の方がミンデンよりも難しいと感じたが。
  A1. ミンデンはよく知っているが、確かにここの方が難しい。
  Q2. 昨日上空から見ると、どこでもアウトランディングできそうに思えたが。
  A2. 基本的に地図上に示されたフィールド以外では機体がダメージを受けると思ってくれ。
  Q3. 以前「Wind Born」というビデオでグライダーが滝上空をすれすれに飛び抜けるシーンを観たが、あれはミルフォード・サウンドの滝か。
  A3. その通り。

 突然、外で風が強く吹く音がした。ギャビンとフィリップが閉ざしたカーテンを開ける。そしてニンマリ。風が吹いている。さぁ、行こう!1階のオフィスで文庫本を読んでいた家内が言う。「すごい風よ」それを待っていたんだ!デュオ・ディスカスXL(QQ)に乗り込む。今日の滑走路は29だ。風は360度方向から7~8m/sで吹いている。離陸前にギャビンが言う。「離陸はお前がやるか、シン?」「いや、十分な高度が取れるまでお前がやってくれ」。離陸13時59分。離陸後いったん右に旋回して滑走路の南西の尾根に取り付いた。と思った途端、ギャビンが曳航索をリリース。あまりに早かったので離脱高度は確認できていないが、おそらく対地高度で1,000フィートあったかどうか。そのまま素晴らしい勢いで斜面風に乗って、あれよと言う間に4,000フィートの山頂まで上がる。尾根はそこからさらに南西に延びている。「シン、10時方向の尾根の上に小さな道が見えるだろう、あれに沿って飛んでみろ」「オーケー、アイハブ」機体を滑らせないように注意しながら、その通りに枝尾根に沿って飛ぶ。やがてしっかりした尾根上空まで辿り着いた。そこからはメインの尾根の少し風上側を尾根に平行に飛ぶ。どんどん高度が上がってゆく。高度計は6,000フィート。そこから次の尾根まで渡ってゆく。

   
   





   
     しかし、Omarama Saddle 上空で落とされた。すかさずギャビンから「オーケー、アイハブ」の声がかかる。ギャビンは方位を300度方向に取るが、うまくリフトに入りきらない。しばらく粘ってClifton Downs のすぐ南側で安定した上昇風帯に入った。酸素供給装置(ニューラ)を着けるように言われる。スイッチをオンすると酸素供給音がして安心する。はるか西の空に「天空の城・ラピュタ」に出てきたような雲が見える。「あれがウェーブ雲か、ギャビン」「そうだ、そして俺たちは今ウェーブの中にいるんだぞ」「えっ、ウェーブの中だって?」「そうだ、昇降計を見てみろ、シン」 
   
   

   
   
 15時ちょうど。離陸後1時間でウェーブに入った。高度10,631フィート。15時07分、高度12,030フィート、大気速度45ノット、方位310度。ウェーブとウェーブの間は速度を80ノットまで上げて突っ切り、15時25分、三つ目のウェーブに入る。高度13,260フィート、速度42ノット、方位305度。ああ、これがウェーブなのだ、憧れのウェーブなのだ。全く静か。機体はそれこそ微動だにせず、ただ高度計の針がぐるぐると回って上昇していることを示している。それは、機体、高度こそ違え、かつて夢見て勝手に想像して書いたウェーブ突入の瞬間にあまりに似ていた。
 『突然、静かな湖面を滑ってでもいるかのようにG103は安定した上昇を始めた。ウェーブに入ったのだ。昇降計は完全に振り切っている。先ほどローターを通過した時が嘘のようだ。風上側の強いリフト帯をはずさないように慎重に8の字飛行を続ける。やがて高度17,000フィートとなり、ミンデン西上空に設けられたグライダー専用の高高度飛行エリア、ミンデンウエストのオープンをリクエストした。上空にはシェラネバダ山脈のウェーブ第一波のレンズ雲が幾重にも重なり、その姿は美しさを越えて神々しささえ、たたえている。憧れ続けた蒼空の世界、それが今、頭上から微笑みかけている。高度計は一定の速度で滑らかな回転を続けている。一体どこまで昇りつめることができるのだろう。』
 15時56分、標高7,000~8,000フィートの山々を真下に見るほど山脈の中に入ってきた。周囲をしっかりと脳裏に刻み付ける。素晴らしい山々、深い谷、素晴らしいウェーブ雲、そして何より私をここまで連れてきてくれたギャビンとデュオ・ディスカス。これらすべてに感謝しよう。ありがとう。本当にありがとう。
   
     

   
     そして、やはり写真を撮りまくった。そのうちに、ギャビンがカメラを貸せという。左手を後ろにひねって手渡すことが出来た。ギャビンは後ろの小窓を開けて腕を伸ばし、私とグライダー前部を撮影してくれた。「シン、今度は頭を右に振れ、オーケー、グッド。さぁ、カメラをチェックしてみろ、いい写真が撮れたはずだ」確かに。「ギャビン、そろそろ16時だ、ワイフとの約束の時間だ、オマラマに帰ろう」もし、この台詞を吐かなかったらギャビンはさらに飛び続けていただろう。もう一日あれば、今日は日が暮れるまで飛べるのに……。もっと飛びたい。しかし、ともかく今日はクイーンズタウンまで帰らねばならない。遅くなっての慣れぬ夜道のドライブは御免だ。ここは冷静になるべきだろう。Tent Peak(6,854ft)で機体を反転させた。
 オマラマの位置はしっかり確認できる。しばらく操縦桿を握った。少し機動飛行をさせてもらう。大きく左右に蛇行させてみた。そして2回右旋回。速度を90ノットまで増速してみる。風切音はまるでなく滑らかで、動きも実に素直だ。オマラマの滑走路が見えてきた。ギャビンにリクエストする。「リクエスト、ローパス、ビフォーランディング」オマラマ上空で高度がまだ8,000フィートもある。ギャビンから「シン、ループするぞ!」のコール。綺麗な宙返りだった。続いてスパイラルダイブ。オマラマの町並み向かって,真逆さまだ。さらにエアブレーキをフルオープンにして一気に高度を落とす。そして無線交信。たぶん着陸する前のローパスを連絡したのだろう。ランウェイ11側から突っ込む、そして左に急上昇、さらに右に切り替えしてオンファイナル。着陸16時34分、2時間35分のウェーブフライトだった。機体を降りる時さすがに体に疲れを感じた。かつて1人で5時間飛んだ時以上に……。寄る年波には勝てない。今回、思い切ってここに来て本当に良かった。もし、万一条件がうまく揃えば、と思った。「できればまた来るよ、今度は1人で飛びたいからね、スケジュールももっと長く、一週間くらいで、それに仲間を連れてね。サンキュー、ギャビン」そう言って私は彼の手を強く握った。

   
         
      (解説) 上図赤黒線がウェーブ飛行時の航跡。着陸後ギャビンが書き込んでくれた。航跡に直交する黒線は当日のウェーブの位置を示す。7つのウェーブを越えている。飛行距離はざっと200kmになる。7つ目のウェーブを越えてから、一時高度7,000フィートを切って冷やりとさせられた。「あの時は怖かったよ」と言うとギャビンは苦笑いした。あの時は彼もうまく掴みきれなかったようだ。302のアウトランディングフィールドも一応考えたとのこと。なお、「ウェーブ」についてご存知ない方のために、以下にウェーブ発生のメカニズムを拙訳「クロスカントリー・ソアリング」より引用して示しておく。山岳によって大気が波動を描いて流れるが、そのアップリフトを利用して飛ぶのがウェーブフライトである。
   
   
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      6. おわりに
 
 オマラマの項で少しシビアなことを書いた。しかし、実はこの旅の間、ずっと気になっていたのである。その結果は、帰国後の10月21日に言い渡されることになっていた。そしてその日は昨日のことだった。
  検査結果によれば、今後、全く制約がないわけではなく、生活面では何らかの支障が出てくるかもしれない、とのこと。しかし、これでグライダーは何とか続けられることになった。ただし、一ヶ月前に手術した直後、本音を言えば、半ば以上諦めていた。人より3年も早くリタイアした意図は一体何だったのか。このために早期退職したわけではないぞ、愕然とした。何たることか!病理検査後の再手術は避けられないと覚悟したのである。だからこそのニュージーランドであり、オマラマだった。しかし、結果は吉と出た。まず、中吉くらいか。否、一ヶ月前を思えば、ここは絶対に大吉と思わねばならないだろう。
 何も言わずに今度の旅に同意して同行してくれた家内にまず感謝したい。これまで我がままはたっぷり聞いてもらってきたが、今後は確実に頭が上がらなくなることを覚悟しよう。そして、これからも飛び続けられそうなこと、少なくともテーマとしている山口県航空史の調査を続けることができることを率直に喜びたい。
   
     ( 2010/10/22 記 )  

   
   

古谷 眞之助 (ふるたに しんのすけ)
中国航空協会

   
         
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