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 2024年9月 航空遺産写真 今月の1枚
1941年の航空日記念歌劇「大空の母」

航空遺産継承基金事務局で所有している写真を毎月1枚ピックアップしてご紹介します。 

舞台写真です。空中に人の乗ったグライダーが吊り下げられているのが目を惹きます。舞台には多くの俳優が並び、つなぎと着て帽子を被っている人、もんぺをはいている人などがいます。

 今月は、9月20日の「空の日」にちなみ、昭和十六(1941)年の「航空日」に関係する写真をピックアップします。

歌劇「大空の母」

 この写真は、昭和十六(1941)9月に宝塚大劇場で上映された歌劇「大空の母」の舞台写真です。中空に人の乗ったプライマリーグライダーが吊り下げられているのが目を惹きます。舞台には多くの俳優が並び、つなぎと着て帽子を被っている人や、もんぺをはいている人たちがいます。舞台の背景幕には日の丸をつけた爆撃機と、空挺部隊と思われる落下傘が描かれています。

 「大空の母」は宝塚歌劇団雪組の演目で、9月20日の航空日を記念したものです。劇団が発行した写真集(文献1)には、「本物のグライダーを舞台に登場させ、少年の科学する心、空への憧憬を、グライダー訓練や模型飛行機製作場面にとらえて、楽しい雰囲気のうちに巧みに重大な国策を強調した国策劇」とあります。(引用はかなづかい、字体を現代風に改めています。赤太字は事務局による修飾)
 「大空の母」は、まず昭和十六(1941)年8月26日から9月24日まで兵庫県の宝塚大劇場で公演されました。写真はこの九月公演の際に撮影され、9月15日発行の『飛行時報』(文献2)に掲載されたものです。その後、10月1日から26日まで東京宝塚劇場で公演されました(文献1)。この十月公演を観劇した記者の川邊正巳は、『航空時代』十一月号(文献3)の誌上で「劇評」として次の様に述べています。

「これは純然たる『航空日』の御用歌劇で、本物のグライダー(プライマリー)を舞台に上せたというのが売り物だけの開幕劇だ。(中略)宝塚歌劇雪組の十月東宝公演でその前月宝塚で上演済のもの、宝塚では大阪飛行場長の南波航空官、東京では航空局の畠山航空官からグライダーの指導を受けたとかで、余りにも馬鹿馬鹿しい誤りを犯してはないが、興行者側の時局に便乗しようとするこのような意図に対して航空局や飛行協会では、今までのようにお高く止って、『差し許すぞ!』と云った態度でなく、大いに積極的に協力し合って本格的な歌劇なり、演劇なり、映画なりの製作上演に心懸けて貰いたいものだ。会議の席上やパンフレットだけで航空知識の国民普及を叫んでみても、肝腎の大衆を掴むセンスを持たず機会を失っているのだ。
 若い女を対象とするこのような歌劇にしてももっと何とかした芝居になったと思うが、作者がヒコーキの難題にとりつかれてマゴマゴしているのが目に見えるようで観客に納得いかない点がかなりあった。
 物語の筋はあり来たりの少年飛行兵志願の少年と母を描き、その中に航空思想のお説教を盛ったもの。帆影美里(少年)園井恵子(その母)の素直な演技で救われている歌劇。(引用はかなづかい、字体を現代風に改めています。赤太字は事務局による修飾)」(文献3

 では、なぜ航空日の御用歌劇が作られたのでしょうか。なぜ、宝塚歌劇団が舞台で本物の航空機(グライダー)を使っているのでしょうか。劇に込められた「航空思想」とは何でしょうか。

航空日

 航空日は、昭和十五(1940)年に「日本における航空に関する思想や知識の普及を計るため」に定められました。当時は日中戦争中で、政府や軍は、戦意高揚のために日本軍航空隊の戦果を宣伝したり、航空戦力の増強のために航空機の有用性や先進性を宣伝しました。もちろん航空機は単なる兵器ではなく、戦前から先進的な交通手段であり、また科学技術の象徴で、まさに文化や文明の到達点を表すものです。しかし当時の日本では民間航空がそれほど発達しておらず、特に戦時中は航空兵力の重要性が高まったため、兵器としての有用性は更に強調されました。

 少年飛行兵は、川邊が「あり来たり」と評しているように、当時、創作作品で少年たちの間で人気を博した題材でした。重要な戦力である飛行機の操縦者の果たす役目は大きく、創作で描かれる「かっこいいパイロット」への憧れは、少年達を空の道に誘いました。また、単なる使命感や憧れの対象に限らず、少年たちにとって軍人は、成功して立身出世を果たすための現実的な進路の一つでした。貧困により中等教育や高等教育を受けられない少年たちは、学費のかからない軍に行けば、昇進して高い収入を得て、人生の一発逆転ができると考えていたのです。当時は兵役の義務があったため、軍に志願しなくても徴兵されることがありました。しかしその前に自分から軍に志願しておけば、兵役義務を早く終わらせたり、早く昇進することができました。その中でも飛行兵は危険なため手当がつき高収入で、別格の存在でした。このように、軍人として戦う使命を帯び、社会的ステータスの高い飛行兵は、少年たちの憧れの対象でした(文献4)。


上:訓練で整列する陸軍少年飛行兵。朝、週番士官が点呼を取っている様子。
(陸軍航空本部より大日本飛行協会に提供。日本航空協会所蔵)

 そして、少年飛行兵とその母は、その後も雑誌で取り上げられたり、創作の上での人気の題材であり続けました。そこでは、息子を養育し、少年飛行兵への志望を後押しし、飛行兵となった我が子が戦死しても悲しまない気丈な母の姿が見られます。
 このような母の姿は理想像として軍や政府の公認で雑誌や映画で宣伝されました。余談ですが、このような宣伝が必要だった背景は何でしょうか。もしかすると、将来飛行機に乗りたいという我が子に対し事故死や戦死を心配して反対したり、あるいは飛行兵となった息子が戦死して悲しむ母親が現実には相当数いたことの裏返しかもしれません。

 日中戦争中という「時局」では、国民も航空機への理解を深め、戦争に協力することが求められました。昭和十五(1940)年の「航空日」制定にもそうした背景があります。「『航空日』の御用歌劇」である「大空の母」は、航空局や陸海軍航空本部の後援を受けている(文献1)ことからも分かるように、政府や軍の意向に沿うものでした。また、当時は国民も戦争への関心が高く、需要があったために公演されたのでしょう。

プライマリーグライダー(初級滑空機)

 プライマリーグライダー(初級滑空機)とは、エンジンを使わずに滑空飛行をするグライダー(滑空機)のうち、当時使われていた初心者用の種別のものです。日中戦争中、文部省は航空思想・航空知識の普及啓蒙や、グライダーの集団訓練の教育的効果を見込んで学校でのグライダー訓練を奨励し、そのために訓練用のプライマリーグライダー「文部省式一型」を制定しました。
 写真のグライダーも、外見から「文部省式一型」と思われます。グライダーを含む航空機には全て標識記号か登録記号が付けられます。写真のグライダーは「B-2641」と書いてあります。戦前の航空法制下の民間航空機の数や種類といった全貌は未だ明らかになっておらず、「B-2641」の情報は、この写真で戦後初めて存在が確認されたと考えられます。尚、戦前日本の民間航空機の網羅的調査については、『J-BIRD 写真と登録記号で見る戦前の日本民間航空機◎満州航空・中華航空を含む』(文献8)をご参照ください。
 写真のプライマリーグライダー「B-2641」の所有者・使用者等は不明で、なぜ舞台の大道具として使われているかは不明です。あくまでも憶測ですが、中学校の生徒などにグライダー訓練が推奨された風潮から、宝塚歌劇団でもグライダーを入手し、訓練を行った可能性もあります。今後、当時の新聞・雑誌等(特に宝塚歌劇団の機関紙)の文献調査が待たれるところです。

 
上図:文部省式一型の図面(2010年10月、航空遺産継承基金撮影)

航空協会が戦前から継承している写真

 日本航空協会航空遺産継承基金では、日本航空協会の前身である帝国飛行協会や大日本飛行協会の時代の資料を継承し、その保存・調査を行っています。大日本飛行協会が機関紙に掲載するために収集した多くの写真が現在も残っており、航空遺産継承基金で複写の上管理している写真は3000枚以上にのぼります。

 大日本飛行協会が機関紙に掲載するために集めた写真は、左下の写真の様に、「大日本飛行協会図書課」の台紙に張られています。右下の写真はその裏側です。日付や撮影者といった写真の関連情報を書く欄が設けられています。しかし、記者名を書く欄に「第八場 エピローグ」とだけ書かれているように、あまり活用されておらず、単なるメモ欄の様のように使われています。

 他の写真も同じように、写真の関連情報がメモ書きしかありません。そのため、膨大な量の写真が、いつのものか、どこのものか、あるいは何の写真か分からない状態です。この写真は、一緒に保管されていた別の写真と一緒に調査することで、いつどこで撮影された写真か判明しました。

 この写真と一緒に、舞台写真らしき写真が計8枚保管されていました。8枚の写真の台紙の裏側には、出演者の名前が書かれているものがあり、宝塚歌劇団の俳優であることが判明しました。その後、国立国会図書館デジタルコレクションの『宝塚年鑑 : 附・宝塚歌劇団写真集』(文献1)で、歌劇のタイトル「大空の母」と公演時期が判明し、昭和十六(1941)年九月の『飛行時報』第七九号(文献2)に掲載された写真であることが確認できました。


 (左上:舞台の上でマイクに向かって歌う二人の劇団員の写真が貼られた台紙。パイロットの緊急用パラシュートやベルト、飛行帽やゴーグルをモチーフとした衣装を着ている。『飛行時報』第七九号(文献2)掲載。右上:台紙の裏側。「大日本飛行協会図書課、第八場 歌手 華沢栄子( )、星影美砂子( )」と書かれている。)

 航空遺産継承基金では、今後も引き続き所蔵資料の保存・調査・公開に取り組んでいきます。

参考文献

航空日記念歌劇「大空の母」参考史料

1) 宝塚歌劇団 []、1942、『宝塚年鑑 : 附・宝塚歌劇団写真集』昭和17年版,宝塚歌劇団,昭和17. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1109509 (参照 2024-06-04〜09-19)35〜40コマ目
2) 大日本飛行協会、昭和十六(1941)、「航空映画・演劇 歌謡の総登場」『飛行時報』第七九号、昭和十六年九月十五日航空図書館所蔵
3) 川邊正巳、昭和十六(1941)、「劇評『赤道』と『大空の母』」『航空時代』十一月号(通算第百三十九号)、昭和十六年十一月一日(航空図書館所蔵

戦前〜戦中の航空思想に関する参考文献

4) 大山僚介、2016、「一九三〇年代初頭における飛行場建設と航空思想――富山飛行場の建設過程を事例に――」日本史研究会 編『日本史研究』(652),日本史研究会,2016-12. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/13007309 (参照 2024-09-9〜10):p.1-28(2〜16コマ目):帝国飛行協会の言説を取り上げ、当時の日本の航空に対する考え方、航空イメージを分析しています。大山は、航空思想を「文明・科学の利器である航空機を発達させることによって、国防を完全にすると共に、日本の文化・文明をも発展向上させようとする思想」と定義しています。
5) ベンジャミン・ウチヤマ、布施由紀子訳、2022、『日本のカーニバル戦争――総力戦下の大衆文化 1937-1945』みすず書房(航空図書館所蔵:第5章「少年航空兵」では、軍とマスメディアが宣伝し、戦時中に人気を博した少年飛行兵イメージは、戦況の悪化により特攻隊員イメージとなったこと、それに伴う当時の「航空少年」の文化の変遷を、当時の雑誌から描き出します。
6) 一ノ瀬俊也、2017、『飛行機の戦争 1914-1945―総力戦体制への道』講談社現代新書:陸海軍が航空戦力を重視し、国民に宣伝していたことや、その宣伝は国民に広く浸透していたことが分かります。少年飛行兵に関しても、飛行兵を募集した軍の宣伝や、それに対する国民の認識が分かります。
7)  若林宣、2023、『B-29の昭和史――爆撃機と空襲をめぐる日本の近現代』ちくま新書:第三章「飛行機が帝国を表象する」では、1930〜40年代に流行したレコード歌謡の歌詞から、「航空」という題材に伴うイメージの変遷を辿っています。

グライダー参考文献

8) 河守鎮夫・中西正義・藤田俊夫・藤原洋・柳沢光二編著、2016、『J-BIRD 写真と登録記号で見る戦前の日本民間航空機◎満州航空・中華航空を含む』日本航空協会航空図書館所蔵):戦前の航空法制下における、民間航空機の全数調査を試みた本です。
9) 関口隆克、1966、「わが国におけるグライダー訓練とグライダー・スポーツ」『日本民間航空史話』日本航空協会:p.503-517(航空図書館所蔵):日中戦争中、文部省のグライダー政策を担う文部官僚だった関口隆克による回想です。
10) 和田学、2020、「文部省の滑空・模型航空機製作の教育政策に関する研究―製作と "その他の予備教育" の考察―」 『美術教育学』美術科教育学会誌, 41 巻, p. 365-376, 公開日 2022/04/01, Online ISSN 2424-2497, Print ISSN 0917-771X, https://doi.org/10.24455/aaej.41.0_365, https://www.jstage.jst.go.jp/article/aaej/41/0/41_365/_article/-char/ja):教育史的な観点から、文部省のグライダーや模型航空機奨励の政策過程について、当時の雑誌を史料に辿っています。

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