1924年5月22日――写真は、初の世界一周の道中、日本に立ち寄った飛行機です。
100年前の今日、霞ヶ浦の湖面に、3機の飛行機が降り立ちました。操縦するのは、史上初の飛行機による世界一周のため、4月6日にシカゴを出発したアメリカ陸軍の飛行士、スミス中尉たちです。
当時は第一次世界大戦後、航空機の性能が向上し、平和な空を舞台に様々な飛行記録が打ち立てられていました。とりわけ、前人未到の世界一周は、欧米各国の飛行家が挑戦と失敗を繰り返しているところでした。そうした中、1923年秋、アメリカ陸軍飛行隊が世界一周飛行計画を発表しました。アメリカの発表は反響を呼び、ヨーロッパ各国も世界一周を計画し始めました。
アメリカ陸軍が使った機体は、2人乗りのダグラス社製ワールドクルーザーです。長距離のフライトのため、14時間分の燃料を搭載できます。また、車輪とフロートを付け替えることで、陸地でも水上でも運用することができました。
4月にシカゴを出発した4機のワールドクルーザーは、事故のため3機に減りながらも、アラスカ、北海道、青森を経由して5月22日5時40分、霞ヶ浦に到着しました。
乗組員のスミス中尉たち一行は陸海軍、大使館員その他多数の歓迎を受けて上陸し、歓待を受けました。飛行機が整備に入る一方、乗組員一行は東京で歓迎会に出席したあと、帝国飛行協会から有功章を受章しました。一行は6月になって和歌山、鹿児島を経由し、中国へ向かいました。
その後、ワールドクルーザーは東南アジア、インド、中東、ヨーロッパを経由して飛行し、事故のため更に1機を失いつつ、2機が出発地シカゴに9月28日に到着、史上初の世界一周を成し遂げました。
参考:『日本航空史 明治大正編』
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