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展示会 |
鍾馗のエンジンが見つかった?
2004年12月13日
財団法人日本航空協会
航空遺産継承基金事務局
1.最初の情報
【放置されていたエンジン】 東京都港湾局の田中主任が、東京モノレールの「流通センター」駅に程近い京浜運河の岸辺にエンジンが放置されているのに気がついたのは昨年4月の事であった。当時この付近には多くの作業船が係留されていて岸辺が見えなかったこともあり、いつ誰がどこから運んできたのかは判らない。やがて、この話が飯沼氏に伝わり、当協会への問い合わせにつながった。 |
2.引き取り先捜し
航空協会には、残念ながらこれだけの大物を保管する場所が無いので、適切な引き取り手を捜すことになった。
もしも鍾馗のエンジンだとすると現存する機体は無く大変貴重なものとなるので、脱塩処理など適切な保存処置をしていただけること、将来長く安定して保管・展示していただけること等を条件に検討し、リニューアル計画があり好ましい保管環境が期待できること、旧軍の航空機に使用された可能性が高いエンジンの展示場所としてふさわしい事などから航空自衛隊入間基地修武台記念館を候補と考えた。
エンジンの検証及び引取りの可否を判断するため、10月29日、航空自衛隊及び防衛大学、東京都港湾局、船の科学館、日本航空協会の関係者、航空ジャーナリスト協会の福澤氏が現地に集まりエンジンを実地調査した。約1時間の調査の結果、写真での検討と同じく鐘馗のエンジンである可能性が高いと判断され、航空自衛隊で引き取る方向で作業を進めることとなった。なお、この時の調査結果は以下のようなものであった。
エンジン全体を見る | シリンダー内径を測る |
過給機のインペラーが確認できる | プロペラハブ部分を上方から見る |
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3.保存処置
保存処置について、当協会の航空遺産継承基金の専門委員を引き受けて頂いている東京文化財研究所の川野邊渉室長に相談したところ、適切な処置を実施しないと長期間の保存に耐えられない可能性があるということであった。このため、現物を確認しアドバイスをいただく事となり、航空自衛隊担当者も参加して、11月9日に再度エンジンを調査した。川野邊氏の現状認識およびアドバイスはおおよそ以下のようなものであった。
・ | エンジンを見た限り、長期間海水に浸かっていたと考えるのが妥当である。また、エンジンの構成はアルミニウム合金と鋼の組みあわせとなる。したがって保存のためにはかなり厄介な条件となる。 |
・ | 金属が腐食する要因は主に水、塩素、酸素となるが、今回のエンジンにとって一番の問題は、多量の塩素が金属に含浸していることである。脱塩処理をしない限り、いかに湿度管理で水を、アクリル樹脂の皮膜で酸素を遮断しても腐食の進行を抑えることは出来ない。 |
・ | 異種金属による電解腐食も心配されるが、腐食が進んでいるため分解して絶縁処置を施すことは難しい。脱塩処理を施した後、ある程度温湿度管理可能な屋内に収蔵するのであれば、電解腐食の問題は我慢できるレベルとなる。 |
・ | 脱塩処理の目的はエンジンに溶け込んだ塩素イオンを溶かし出すことであり、実作業としては大きな水槽にエンジンを漬け込むことになる。また塩素が溶け出すにしたがい水を交換する必要がある。 |
・ | 脱塩処理の前に、エンジンの清掃を済ませておく必要がある。過去の経験から、エンジンへのダメージをできるだけ少なくしつつ時間をかけずに実施するには、現在の乾燥したままの状態でエンジンに付着している貝などの異物を、竹へら等を使用して取り除くのがよい方法であると考える。 |
・ | 乾燥状態での清掃終了後、エンジン内部に残る異物を水などを使用して取り除くことになる。ただし、今回のように腐食が激しい場合は、一般に用いられる高圧洗浄などを施すと不安定な状態で残る金属をもいためる可能性が高い。したがって慎重な手作業が望ましい。 |
・ | 作業の最終段階で、赤錆が発生している鋼を用いた部品は、タンニン酸を塗布して化学的に安定した黒錆に転換しておくと良い。残念ながら、アルミニウム合金にはこのような安定化の手法が無い。 |
・ | 理想的な保存の手法をお話したが、実際に実施するとなるとなかなか大変な作業となる。これらの作業全てができないと保存の意味が無くなるということではない。貴重な品々をより良い状態にして後世に残すという目標を目指しつつ、現実的には出来る範囲で最良の処置を選ぶことになる。必要となればそのためのアドバイスや脱塩処置時の塩素濃度の測定等協力が出来る。 |
・ | ドイツでは、近年北海から引き上げたUボートに脱塩処理を実施していると聞いた。面白いのは脱塩処理に時間が掛かるため、水槽に入れた状態をそのまま展示していることだ。残り少ない近代の遺産をしっかりと残すためにはこういった処置が必要なことを説明し理解を求めると共に、しかるべき後には保存処置をおえたUボートをお見せできるとしているそうだ。 |
4.航空自衛隊入間基地へ移動
11月30日早朝から慎重な搬出作業が行われ、同日中に無事入間基地に運び込まれた。最初にエンジンを確認してからまだ一ヶ月しかたっていなかった。突然の話に、予算処置や人の手配等大変であったと思われるが、関係各位の努力の賜物と感謝している。
5.特定に向けて
今までにわかっている事実から、鍾馗のエンジンの可能性が高いが断定は出来ていない。今後保存処置を進めてゆく過程で、特定できる情報を見つけられることを期待したい。
“どこでエンジンが海中から引き上げられたか?”がわかれば機体が見つかる可能性もあり、機体からエンジンを確定することも可能になる。
【日本航空協会のホームページ「記録写真(ここをクリックして下さい)」でエンジンの写真を公開しています。エンジンを特定する新たな事実や東京湾における鍾馗墜落の情報等をお待ちしています】
6.展示方法
最後に今回のエンジンのように長期間に亘り放置された後、航空遺産として認知され保存展示されている例を紹介すると共に、その展示の考え方にも少し触れておくことにしたい。いずれも放置されていた間に腐食等による傷みが進み、使用されていたときとはかけ離れた状態になっていたものである。
ユンカースJu87 川野邊 渉 氏 提供 |
まずドイツ技術博物館のユンカースJu87を例としたい。ロシアで撃墜されたものであるが、墜落している機体からロシア人が金属材料として外板を剥ぎ取ったままの状態であえて修復もせずに展示している。同じ様な例はわが国でも多くなっている。加世田市平和祈念館の零式水上偵察機は同市の沖合水深5mの海底から引き上げられたが、引き上げ時の状態を維持することを目的とした保存処置しか実施せずに、展示方法も海底の砂の上に沈んでいた状態を再現している。同様に博多湾沖合水深3mの海底から引き上げられた太刀洗平和記念館の九七式戦闘機も積極的な修復を実施しなかった好例である。脱塩処理は廃校となった中学校のプールを利用して飛行機をまるごと漬け込む事により実施した。その後の修復でも“見栄えを良くする”為だけの過度な修復は行わず、ましてや機体外部の再塗装もまったく行っていない。川野邉氏によると、このような一見博物館らしからぬ展示は、当時の最先端技術の賜物である技術的側面だけで無く、これらがたどって来た歴史自体に価値を見出して、見学者一人一人にその意味を問いかけようという試みの表れでもあるとのことである。したがって、以上のような発見時の現状を維持するだけの一見消極的な保存処置が、最良の選択肢であることも多い。
また、外観からは単にきれいに修復塗装されているように見えるレストア機にも、思いがけない配慮がされているのをご存知だろうか。スミソニアン航空宇宙博物館を例として幾つかをご紹介しよう。近年修復を終え、ロールアウト直後に近い姿を目にする事が出来る旧日本海軍特殊攻撃機「晴嵐」の場合は、修復の最終段階で外観塗装を実施する前に特殊な透明の皮膜を機体全体に吹き付けている。これは後世の研究者が、まだ残る晴嵐のオリジナル塗料などを調査する機会が発生した際に、溶剤を用いて機体にダメージをあたえることなく簡単に塗装を落とせるように配慮したものだ。また機体内部は人間の係わりをもっとも多く残す場所として、再塗装は限られた個所にしか実施していない。同様にライト兄弟の飛行機「フライヤー」のエンジンも修復保存処置が終わり再塗装する前に、蝋のような皮膜を塗布してある。これも熱を加えると再塗装の皮膜が簡単に流れ落ち、オリジナルの状態を簡単に確認できるように考えた結果だと聞いている。
今回のエンジンも技術的側面だけでなくそのたどった歴史を長く語ることの出来る展示になることを願っている。
【航空ファン2005.02 No.626より転載】
2004.12.20設置