News Release 一般財団法人 日本航空協会
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重要航空遺産
YS-11輸送機 量産初号機(国立科学博物館所蔵)について

所在場所 科博廣澤航空博物館
解説  戦前までの日本の航空機生産数は、アメリカ、ソビエト、イギリス、ドイツに続く規模であり、ジェット機を飛行させたのも、世界で5番目と、かつてわが国の航空機生産規模や開発能力は世界でも有数のものだった。敗戦により航空に関する一切の活動を7年間禁止された日本が、そのハンディキャップを乗り越えようと国を挙げて開発を行った記念すべき国産機がYS-11である。
 開発には戦前の航空機設計者、航空機開発の経験のない戦後の技術者など、多くの航空技術者が取り組んだ。先を行く欧米に追いつくことを目指し、戦前の航空機開発の経験と知識の延長だけでは商品としての民間輸送機開発は難しいことを身をもって経験しながら、苦難の末生み出し育て上げたのが戦後初の国産輸送機YS-11である。
 1957年に設置された「輸送機設計研究協会」が基礎設計を行い、その後「日本航空機製造梶vが基本設計、詳細設計等開発を進め、生産は三菱重工を始めとするわが国の航空機製造会社が総出であたった。試作1号機が1962年8月30日に初飛行し、その後、飛行試験で判明した安定性や舵の効きなどの問題点を上反角の変更を始めとした改修で対応し、1964年8月運輸省航空局の型式証明を取得した。国内のエアラインを始めとして国外にも販売され、最終的に試作2機を含む合計182機が生産された。
 東京オリンピックの聖火輸送に使用されるなど国産輸送機として話題となることも多く、国内の地方路線を中心に運航されていたが2006年9月惜しまれつつ国内のエアラインから姿を消した。
 
 国立科学博物館が所蔵しているYS−11は、試作機による改良結果を反映すると共に、戦後航空再開にあたり日本の航空機製造事業の期待を一身に受けた栄えある量産1号機となる。製造番号は2003、機体登録記号はJA8610となり、登録記号は生産された全YS-11機中一番若いものとなった。
 1964年10月23日に初飛行を行い、1965年に運輸省航空局に引き渡され「ちよだ11」と命名された。航空局では飛行検査機として運用され、1998年12月18日に引退するまでの間2万時間を越える飛行を行った。
 
 国立科学博物館では引退後、この機体を様々な面から重要であると判断して出来る限り航空局で運用されていた状態を保ったまま保存することとし、移管を受けた1999年から今日(2008年)に至るまでの間、年間約4回の定期点検を継続的に実施し、現状保存に必要となる防錆処置を含むメインテナンスを実施すると共に、経年変化なども記録している。
 飛行検査という特殊な目的のための点検用電子機器類及び飛行検査データを解析するための装備などが、当時のままの状態で保存されている。また、機体だけでなく、当該機の航空日誌や開発の際に使用した機器類なども合わせて保管されている。
 
 国立科学博物館が所蔵するYS-11は、戦後初の国産輸送機量産初号機としてのみならず、現存するYS-11の中では成田の航空科学博物館で屋外展示されている試作1号機に続く最古のものとなることから、航空史において重要である。加えて航空局での使用当時の状態を良く保っており文化財としての価値も高い。これらのことから、国立科学博物館のYS-11は、現在我が国に保存されているYS-11の中でも特に貴重であると考えられる。
重要航空遺産 YS-11輸送機量産初号機(JA8610)

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